社会福祉事業へ専念
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 20:05 UTC 版)
「ヨゼフ・フロジャック」の記事における「社会福祉事業へ専念」の解説
1936年(昭和11年)に天主公教宣教師社団「ベタニア事業協会」が認可されると、同年5月2日には関口教会主任司祭及び東京大司教区司教総代理を辞職し事業へ専念する。翌1938年(昭和13年)7月には東星尋常小学校に幼稚園を併設し、また看護婦のために「聖テレジア寮」を新設する。翌1939年(昭和14年)4月にはベタニアの家構内に東星学園出身者で上級学校へ通学する生徒のために「聖ヴィンセンシオ寮」を新設し、同年6月にはベタニアの家を増築し定員64名とした。また同年2月、事業機関誌『るり草』を創刊、その第1号に初めて「不老若」のペンネームを使用する。さらに1940年(昭和15年)10月に御下賜金を受け、ベトレヘムの園に紀元二千六百年記念恩賜病棟を建設、11月には東星尋常小学校に高等科を併設する。 第二次世界大戦が激化した1941年(昭和16年)4月、国家総動員法に基づく「生活必需物資統制令」が制定され、国民生活への統制も強まり、事業の運営も厳しくなっていった。また、ヴィシー政権崩壊後には、在日フランス人も警察による監視下におかれ軟禁状態となったが、フロジャックに対しては当時すでに有名な社会福祉事業家であり、また御下賜金を受けていた事もあって、比較的自由な活動を許されていた。このような状勢の中、1942年(昭和17年)9月、東京市荒川区に「三河島診療所」を開設、日曜・夜間の診療にも応じ労働者の便宜を図った。翌1943年(昭和18年)4月には外国語(敵性語)の排斥が進み「ベタニア事業協会」を「慈生会」に変更する。同年6月10日には働く母親のため江古田に託児所「徳田保育園」を開設した。
※この「社会福祉事業へ専念」の解説は、「ヨゼフ・フロジャック」の解説の一部です。
「社会福祉事業へ専念」を含む「ヨゼフ・フロジャック」の記事については、「ヨゼフ・フロジャック」の概要を参照ください。
- 社会福祉事業へ専念のページへのリンク