ベタニアの家
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 20:05 UTC 版)
「ヨゼフ・フロジャック」の記事における「ベタニアの家」の解説
1929年(昭和4年)9月、東京府豊多摩郡野方町丸山(現在の中野区丸山)に民家を借り、身寄りのない結核患者5名を収容した。さらに1930年(昭和5年)には中野療養所近くの小川の畔に患者15名を収容する施設を建設し、同年6月27日に開設、それを「ベタニアの家」と命名した。翌1931年(昭和6年)にはベタニアの家近隣の土地212坪を購入し、附属していた建物に患者5名を移し、さらに10名の患者を収容した。同年、フロジャックを助けるため関口教会の女性信者数名が事業に参加し、「ロゼッタ姉妹会」(現在のベタニア修道女会)が発足した。 1932年(昭和7年)6月、ベタニアの家隣接地112坪を購入し増築、収容患者数は32名となった。同年10月、北多摩郡清瀬村(現在の清瀬市)に山林20,000坪を購入、同年12月にはベタニアの家の筋向いに患者の子供たちを収容するため、児童福祉施設「ナザレトの家」を建設、男児10数名を収容した。フロジャックは、この建設費用を支払えず苦慮したが、彼の苦しみを伝え聞いた大森に住む信者から600円、宇都宮の信者から400円の寄付金が送られてきた。更に同年12月24日、5,000円の御下賜金を受け、この苦境を打開することが出来た。
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