総合社会福祉施設への挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 20:05 UTC 版)
「ヨゼフ・フロジャック」の記事における「総合社会福祉施設への挑戦」の解説
1933年(昭和8年)1月、既に購入済だった清瀬村の土地に、軽症患者やその家族を収容できる総合施設を建設するため開拓に着手し、同年10月には病棟が完成、回復期の患者を社会復帰させるための施設、療養農園「ベトレヘムの園」を設立し軽症患者60名を収容した。翌1934年(昭和9年)5月にはベトレヘムの園西隣の土地7,500坪を買い入れ、児童養護施設「東星学園」(現在のベトレヘム学園)の建設に着手、同年8月2日に開園しナザレトの家の児童33名を移した。 1935年(昭和10年)、ベトレヘムの園を視察した東京府知事の香坂昌康は、この施設が重症患者も受け入れ可能なこと、また当時は軽症患者よりも重症患者収容の方が必要とされていたことから、ベトレヘムの園を診療所へ転換するよう提言した。フロジャックは自分の理想とは違ったが、診療所に転換することで東京府からの補助金も交付されることから、同年10月に診療所の認可を受け重症患者の受入れを開始した。そして軽症患者のためには「聖ヨゼフ寮」をベトレヘムの園構内に開設する。また同構内に聖堂を建設、小教区教会(現在の秋津教会)とした。 翌1936年(昭和11年)4月1日、収容された児童の教育のためベトレヘムの園構内に「東星尋常小学校」(現在の東星学園)を開校、生徒数は施設の児童と付近からの通学児童合わせて52名だった。同年5月にはベタニアの家構内の聖堂を小教区教会(現在の徳田教会)とした。
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