特定失踪者と拉致被害者等の扱い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 14:02 UTC 版)
「特定失踪者問題調査会」の記事における「特定失踪者と拉致被害者等の扱い」の解説
特定失踪者認定は、民間団体である特定失踪者問題調査会が個人情報を扱うことからあくまで家族・関係者等が「夜逃げをするような理由が全く見あたらないのに突然姿を消した人」で「北朝鮮による拉致の疑いが完全には排除できない失踪者」として同会に調査依頼した行方不明者を対象としており、同会が独自に情報を集めた失踪者を除き、行方不明者であっても家族・関係者等から同会に依頼がない場合は、もとより「特定失踪者」としては扱われない。 また政府認定拉致被害者は、日本国民であることが北朝鮮当局によって拉致された被害者等の支援に関する法律(拉致被害者支援法)の認定基準であるが、特定失踪者については、民間団体が示した呼称でありそのような条件もないため、消息不明となっている在日朝鮮人等も含まれている。 更に特定失踪者以外でも、拉致被害の疑いが濃厚とされ、警察の捜査対象となっている失踪者も存在している。北朝鮮工作員に関わる何らかの犯罪行為に巻き込まれているものとして警察当局が捜査し、北朝鮮工作員に関わる事件であると断定した事案の行方不明者で、且つ政府認定拉致被害者以外の行方不明者である田中実・小住健蔵については「救う会」が拉致被害者と指定しており、特定失踪者ではない。 田中実については家族がおらず、小住健蔵は家族はいるものの事件発生以前から当人と音信不通であった。両名については2002年10月、政府が非公式に北朝鮮に消息の照会を行った、いわゆる「未認定拉致被害者」であり、「救う会」が調査と真相解明及び救出活動を行い、政府による拉致認定を求めた。田中実については、その後の警察の捜査を受けて、2005年に政府認定拉致被害者となったが、北朝鮮から「入境していない」との回答があった。 また、よど号ハイジャック事件実行犯岡本武と北朝鮮で結婚したという日本人女性福留貴美子についても、八尾恵の証言などから拉致の疑いが濃厚とされ、「救う会」が拉致被害者と判断しているため特定失踪者とは区別される。 更に、寺越昭二・寺越外雄・寺越武志については、北朝鮮工作員に関わる何らかの犯罪行為に巻き込まれているものとして警察当局が捜査し、北朝鮮工作員に関わる事件の被害者であると断定した事案であるが、3名の消息が判明しているため、特定失踪者とはなり得ず、「未認定拉致被害者」の状態である。 ただ、寺越武志については本人が生存し、拉致を否定したため拉致被害者ではない扱いとせざるを得なくなっている。これらの人々については「救う会」が調査と真相解明及び救出活動を行っており、政府による拉致認定を求めている。 一方2007年4月、警察庁は北朝鮮工作員高大基(在日朝鮮人)と結婚した日本人女性渡辺秀子とその子供2名が1974年6月中旬に行方不明になった事案について「子供2名を北朝鮮による拉致被害者と断定した」と発表し(2児拉致事件)、同事件に関与した土台人を容疑者として国際指名手配した。 同月外務省が北朝鮮に対し正式に抗議と調査、子供2人の返還と容疑者身柄引き渡しを要求した。従って当事案は政府によって公式に認定された拉致事件であるが、その子供2人は朝鮮籍であり日本国民ではないことから、子供2名は政府認定拉致被害者とはなっていない。 これ以前に、渡辺秀子の親族が渡辺秀子と子供2名について、特定失踪者問題調査会に公開調査を依頼しており、子供2名については「1000番台リスト」に記載、渡辺秀子も特定失踪者となっている。渡辺秀子については、当該事件に関する警察の事情聴取を受けた被疑者が、遺体を日本国内に遺棄したことを供述し、殺害についても証言したが、遺体は見つからないままとなっており、生死は未確認である。 このほか「1000番台リスト」に記載された人のうち松本京子は政府が2002年10月、非公式に北朝鮮に消息の照会を行ったただ1人の特定失踪者であった。警察の捜査の結果拉致の疑いが極めて強くなり、2006年に政府認定拉致被害者に指定されたが、こちらについても北朝鮮から「入境していない」との回答があった。また「1000番台リスト」に記載されている人のうち北朝鮮元工作員安明進より消息に関わる証言が得られた女性2名については「救う会」が拉致被害者に指定し、政府認定を求めている。 更に、調査の結果及び本人が同会に名乗り出るなどして、日本国内において消息が確認できた人が2016年12月1日現在58名おり、うち生存している人が54名、既に死亡していた人が4名、更にその中で別の犯罪により殺害されていたことが判明した人が1名(「0番台リスト」に掲載。東京都小学校教諭。当該殺人事件自体は時効)、事故死したものと見られる人が1名(「0番台リスト」掲載。日本海で操業していた新潟県の漁師。2005年12月公開)であった。 このほか、山梨県警察本部が「1000番台リスト」掲載の特定失踪者1名(1984年6月4日山梨県内より失踪、当時20才の女性)について、2004年3月に「1984年6月21日に山形県内で発見された行旅死亡人とDNAの型が一致した」と発表したものの、その後情報が公開されず真偽不明のままとなっているが、特定失踪者問題調査会はこの案件については山梨県警が公開した行旅死亡人の遺体の情報と、当該特定失踪者の身体的特徴には明確な差異が多すぎる事。失踪から僅か17日後に発見された遺体が既に死蝋化しているなど、遺体に通常ではあり得ない経年変化や損壊が生じていること。平成15年に山梨県警により行われたDNA鑑定の全般の経過に不可解な点が数多く見られることから、山梨県警のDNA型一致の発表は誤りであると主張している。なお、山梨県警自体は2017年現在も、後述の警察庁による「拉致の可能性を排除できない事案に係る方々」リストを通じて、新潟県警察本部との連名で当該特定失踪者の情報提供の呼び掛けを継続している。
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