全般の経過
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/18 03:50 UTC 版)
戦争はまず、オーストリアがスペイン領ミラノ奪還を目指して、1701年にプリンツ・オイゲン率いる軍を北イタリアに進撃させたことで始まった。 イギリスは1702年にウィリアム3世が崩御。新たに即位した義妹のアン女王の下でシドニー・ゴドルフィンを中心とした政権が成立、女王の親友でもある女官サラ・ジェニングスの夫であるマールバラ公ジョン・チャーチルが司令官に任命された。1702年夏、マールバラ公は4万の兵力を率いて大陸に派遣される。イギリス軍はオランダ軍と連合してフランドルに迫った。ここでマールバラ公はオランダに接近したフランス軍を威嚇しながら占領地域を解放、1703年にはフランス軍をネーデルラントへ後退させた。また、マールバラ公はケルン選帝侯領経由で南下し、バイエルンを視野に入れた。フランスは同年8月、ヴィラールを抜擢して、オイゲン公不在の間隙に、ハプスブルク家の本拠地ウィーンを攻撃する。 ポルトガルやブランデンブルク=プロイセン・ハノーファーを始めとするドイツの諸領邦国家も同盟に加わったため、フランスは孤立無援に陥った。しかし1704年春、バイエルン選帝侯マクシミリアン2世の同盟を得てアルザスを占領、南ドイツに軍を派遣してオーストリアを脅かした。これに対して、オイゲン公がイタリアから急遽帰還、加えてマールバラ公率いるイギリス軍とハイルブロンで合流し、8月13日のブレンハイムの戦いでフランスを破った。結果、バイエルンは同盟国に占拠されたため、フランス軍はアルザスまで後退した。バイエルン選帝侯マクシミリアン2世はネーデルラントへ亡命し、オーストリアの危機は去った。 ポルトガルはイギリスと単独講和していたことから、イギリスの地中海進出は容易となった。1704年、アン女王はカール大公の要望に沿って輸送船を貸与してオーストリア軍のスペイン上陸を支援し、他方ジョージ・ルーク率いるイギリス軍がジブラルタルを占領した(ジブラルタルの占領)。ジブラルタル陥落から6週間後、カール大公は彼を支持するカタルーニャへ上陸。翌1705年、フランス軍はジブラルタルを長期間包囲したが、イギリス海軍は執拗に持ちこたえた(マラガの海戦)。カール大公はイギリス軍や地元義勇軍に支援されて、さらにバルセロナを陥落させ(バルセロナ包囲戦 (1705年))、1706年にはマドリッドに入城する。しかし、アン女王の異母弟でジャコバイトのベリック公ジェームズがフランス軍を率いて、オーストリア軍を破ってマドリードを奪還する。 フランスは反撃を図り、オーストリア側に就いたサヴォイア公国の首都トリノを攻囲したが、1706年にオイゲン率いるオーストリア軍に敗れ、北イタリアを制圧された(トリノの戦い)。またスペイン領ネーデルランドでは、マールバラ公率いるイギリス軍にラミイの戦いで敗れ、ネーデルラントを失った。 1707年、フランス軍はフランドルに軍を集めてイギリス・オランダ軍に対する反抗を開始した。マールバラ公はこれに対してイギリス・オランダ・オーストリアの連合軍を結集し、1708年にアウデナールデの戦いでフランス軍を破った。翌1709年、ルイ14世は和平を提案したが、フェリペ5世のスペイン王位継承をはじめとして連合国の認められない要求が含まれていたため、戦争は再開され、マールバラ公はパリ進撃を目指してフランス領フランドルに侵入した。連合軍とフランス軍はマルプラケの戦いで激突し、連合軍はフランス軍を敗走させたものの、死傷者数万人の大損害を被り、戦線はフランドルで膠着した。 この頃までに、オランダやドイツ諸邦は既に戦争の継続に倦んでおり、イギリス国内でも和平を望む声が高まっていた。やがて、和平派のアン女王は戦争推進派のサラを疎ましく思うようになる。1710年、自身がイギリスの戦争推進派の中心でもあるマールバラ公は、妻のサラ共々アン女王の信任を失う。政府も和平に傾き始め、ゴドルフィンがアン女王に更迭され、与党のホイッグ党が総選挙で敗れると、トーリー党の指導者ロバート・ハーレーとヘンリー・シンジョンらが和平に動き出した。 ヨーロッパで戦争が繰り広げられている間、アメリカ大陸ではイギリスとフランスの間で植民地を巡るアン女王戦争が開始された。イギリスはフランス領カナダのケベックを狙い、フランスはニューイングランドの英国植民地を狙った。いずれも成功しなかったが、イギリスはフランス領アカディアの占領に成功した。また、戦争中の1707年にイングランドとスコットランドの合同条約が批准され、グレートブリテン王国が成立している。
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