炭坑への支線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 03:09 UTC 版)
本線のペタイから分岐し、シンギンギ川を超え、タプイ川に沿うように支線(ロガス支線、炭坑線などと呼ばれた)が作られた。ペカンバル在住のニュージーランド人、ジェイミー・ファレル (Jamie Farrell) の手で、この支線の詳細なルートとメカニズムはほとんど明らかになっている。ファレルは仕事の合間を縫っては現地をくまなく踏査し、本線のルート、18の捕虜収容所についても詳細に位置を割り出している。 第14A収容所があった場所はすっかりアブラヤシが茂るが、機関車の待機線と思われる跡が残り、ここに「駅」があったことが想像できる。また、敷地内には発電所の跡もあり、ここで電気を使う作業が行われ、たぶん、夜を徹した作業も行われたのではないか。石炭を製鉄用のコークスにする炉もここにあったのかもしれない。 そこから川を渡ると、すぐに急斜面が立ちはだかる。鉄道ではとても無理な傾斜だ。ここが、たぶん、岩崎が下記で言う「タブイ駅落差地点」ではないだろうか。斜面の下に待ち受ける貨車に上から石炭を落としたのだろう。 コークスを運び出すためには、まず軽便鉄道で搬出し、途中のタブイ駅落差地点で、下で待つ重列車の無蓋貨車に、斜面のシュートから一挙に落下させる構想である。 斜面の上からは狭軌の線路が炭坑(サパール炭坑、カル炭坑とも呼ばれる)まで走っていた。たぶん、ここでは、北スマトラのメダン近辺から持ち込まれた小型の機関車、クラウス社製のDSM30が使われた。しかし、たとえ小型にしても、重量のある機関車をどうやって斜面の上まであげたのか、それもわかっていない。ファレルはスイッチバックで機関車を坂の上にあげたのだろうと想像する。なお、この炭坑線について、オランダや英語圏、インドネシアでは軌間が700 mmだったと信じられているが、岩崎は750 mmだったと書いている。 炭坑線で留意しておかなければならないことは、この支線は本線の開通より早く、1944年末までに完成、翌年初頭から掘り出した石炭の鉄道輸送が始まったことだ。炭坑への支線の建設が本線の貫通よりも優先されたのだ。このことからも、この鉄道が何のために作られたのか、その目的が透けて見える。特設鉄道隊副隊長を務めた国鉄職員、軍属の奈須川丈夫はこの間の事情を次のように記録している。 パカンバル、コタバル間の約100キロと炭坑支線を早期完成し、炭坑で生産されたコークスを昭南に送り込むよう内命を受けていたので此の間の施工に尽力し、昭和19年末までに完了、試運転の結果昭和20年早々、ロガス炭坑で生産されたコークスを昭南に向けパカンバル港より発送した。 戦局の推移に伴い、制空権・制海権の喪失でスマトラ横断鉄道にもより安全な代替輸送手段としての役割が新たに与えられたことは間違いないが、この鉄道の本来の目的である石炭のマレー半島への輸送を急げという命令が出ていたのだ。その命令の意図するところは、製鉄所を立ち上げ、すでに内地からの輸送が困難になり補給がおぼつかなくなった兵器や船舶の現地生産を開始し、「自給自戦」の体制を作り上げろということなのではないか。 こうしてこの路線建設の目的である石炭輸送は始まり、にわか作りの線路で列車は毎日のように脱線を繰り返したが、とにもかくにも1日50トン程度の石炭がペカンバルに運ばれ、そこから船でマレー半島に運ぶルートは出来上がった。しかし、比較的安全と思われたマラッカ海峡も連合軍に制空権・制海権を奪われ、シンガポールへの輸送船に事欠き、ペカンバルには石炭の山がいくつも並ぶ有様だった。第25軍の本部が置かれたブキティンギの憲兵分隊長の河野誠の回想。 すでに埠頭には大きな暁桟橋、その下流に巨大な石炭桟橋も完成し、待望の鉄道も開通し、続々ロガス炭坑の無煙炭が運ばれ、石炭の山がいくつも出来ている。パカンバル駅も出来て、貨客の輸送は大幅に増大した。 これほど優先的に建設した炭坑支線だったが、敗戦後、日本軍はいちはやく炭坑を見捨て、この炭坑支線から撤退したようだ。捕虜解放の使命を帯びて収容所を訪ねて回ったジェイコブズ少佐は第14、第14A収容所を訪問した時のことを、次のように書いている。 此処には、かつてジャングル鉄道で働いていた分遣隊の残りのオランダ人捕虜が数百人いると聞いていた。行ってみてわかったことだが、この人たちは外の世界から完全に切りはなされていて、戦争が終わったことさえ知らなかった。ジャングルの中に取り残されて、彼らは想像を絶した原始的な暮らしをしていた。多くの者は生き続けるために木の皮や草の根を食べることをおぼえた。 ジェイコブズらに同行した日本軍将校のヨシダもまともに直視できないような惨状だった。
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