戦局の推移
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 01:46 UTC 版)
双方の主将戦とも言える秀哉雁金戦は、特別に持ち時間一人16時間の持ち時間で、打ち掛けをはさみ6日をかけて打たれた。碁は中盤から大乱戦となったが、10月18日に雁金の時間切れ負けとなった。 この対決で勝者の秀哉は健康を損ね、しばらく手合を休むことになり、2局目は高部道平と岩本薫の臨時手合が行われた。 2局目以降は、棋正社は小野田、高部、雁金の3棋士が交互に出場、日本棋院は橋本宇太郎、岩本薫など実力が段位を上回ると言われる伸び盛りの若手棋士が次々に出場し、コミ無し先番の手合割が多かったこともあって優勢に進めた。特に木谷実はジゴをはさんで8連勝を果たした。28局まで進んだところで棋正社は、碁界大合同には参加せずに神戸に隠遁していた野沢竹朝五段を加え、六段、続いて七段を贈って対抗戦に参加させる。通算42局まで行い、棋正社の14勝26敗2ジゴで終了した。 読売新聞はこれを「大正の大争碁」として大々的に宣伝し、観戦記には碁界で初めて河東碧梧桐、村松梢風、菊池寛などの文士を配し、大盤による速報を行うなどして人気を博し、発行部数が一挙に3倍になって一流紙の仲間入りを果たした。この時に紙上で解説を書いた「覆面子」の名前は、これ以降の読売新聞紙上の観戦記者に代々受け継がれる。 また院社対抗戦に続いては、これもかつてのライバル同士であった野沢竹朝と鈴木為次郎の十番碁を企画し、1927年から野沢病気による中止となる30年までに9局まで打たれて、野沢の2勝5敗2ジゴとなった。
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