滋賀県のダム凍結宣言
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こうした淀川水系の河川開発が大きく揺らぐ中、2006年(平成18年)の滋賀県知事選挙において当時現職だった国松善次を破り当選した嘉田由紀子知事は、就任直後から新幹線新駅・産廃処分場と並んでダム計画を、『もったいない』のスローガンに基づき不要な公共事業として全てを凍結させると発表した。長野県に次ぐ自治体単位での脱ダム施策である。 対象となったのは北川第一ダム(北川)・北川第二ダム(麻生川)・芹谷ダム(芹川)の県営ダムと国直轄事業である大戸川ダム・丹生ダム・永源寺第二ダムの計6事業である。長野県の脱ダム宣言と大きく異なるのは、県営ダムのみならず国土交通省・農林水産省の直轄ダム事業も中止対象に挙げている事で、就任当初から財政的問題・環境問題の両面よりダム事業は中止すべきとの持論を展開。ダムの代替案として堤防建設や森林整備を中心とした自然に優しい治水事業の整備を図りることで、ダム依存からの脱却を図ろうとした。 これに対し下流受益地である京都府や京都市は事業費増大の対策に頭を悩ませていたこともあり、知事のダム凍結宣言を歓迎・支持する態度を表明。一方で上流受益地である大津市・彦根市・多賀町などは「堤防建設は却って莫大な支出をもたらす」としてダム建設の促進を要望した。水没予定住民も早急な建設促進を訴え、知事に反発した。知事は当初は凍結の態度を崩さなかったが、平成18年7月豪雨と直後の長野県知事選挙(田中康夫が落選)の影響からか、態度をやや軟化。「他に有効な方法が無い場合はダム建設もありえる」と地元との対話を重視する姿勢へ転換した。ただし知事は治水政策について「治水の瑕疵(かし)により1人でも死者が出た場合は知事を辞任する」とも話しており、退路を断って滋賀県の治水対策に取り組もうとしている。 2006年12月には凍結を宣言していた6ダムのうち、芹川支流水谷川に建設が計画されている「芹谷ダム」について、ダム以外の治水整備についての比較検討を行った結果コストパフォーマンス的にダム案の方が勝るという結論に達し、知事は芹谷ダム計画については前向きな検討を開始した。さらに2007年(平成19年)に入ると北川第一ダムについても事業の推進を表明、何れも既存の河川整備と比較しコストパフォーマンスに優れるという理由で事業再開を決めている。この他大戸川ダムについても事業容認の姿勢を見せている。田中康夫と異なり地元との意見調整や代替案との比較を進めながら、財政的観点とのバランスで必ずしも「脱ダム」に固執しない柔軟な姿勢でダム依存型の治水脱却を進めているが、支持層のうち自然保護団体は田中のような急進的なダム撤去・中止を是としていたことから嘉田知事の方針を「公約違反」として反発する向きもある。 河川管理者である国土交通省はこうした一連の動きを静観していた。2007年に嘉田知事は「ダム凍結宣言」を撤回し、大戸川・丹生の両ダムについて穴あきダムとしての建設を容認、国土交通省に建設再開を促したことから事態は動き出した。2007年8月28日、国交省近畿地方整備局が「淀川水系河川整備計画原案」を策定し、凍結ダムの建設再開方針を打ち出した。これを受けて大戸川ダムは治水ダムとして川上ダムや天ヶ瀬ダム再開発とともに建設が再開された。ただし余野川ダムは2008年(平成20年)に中止が決定、丹生ダムについては貯水するか穴あきかで県と当時の余呉町(現:長浜市)の対立が激化した。また「流域委員会」のあり方を巡り委員の選定などで国土交通省側の強引な介入があったと指摘・批判する声も大きい。 国土交通省は「淀川流域で過去最悪の大規模な洪水が発生し、淀川が大阪市内で破堤した場合には大阪市中心部が水没する」というシミュレーションを纏めている。全国的に毎年のように記録的な集中豪雨が起こっている現状において、淀川の治水は流域住民の安全と、自然保護や財政負担軽減などによる板挟み中で、難しい舵取りを迫られている。
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