滋賀大学教授以降
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1952年(昭和27年)7月1日文部省採用により滋賀大学教授(学芸学部)を命じられる。翌年4月京都女子大学講師を委嘱される(1959年(昭和34年)退任)。1956年(昭和31年)1月城南宮宮司より「城南宮史」編纂の依頼を請ける。同年11月日本人類学会評議員に就任し、翌年4月滋賀県文化財専門委員を委嘱される。この年葛川明王院より「葛川明王院史」編纂の依頼を請ける。1959年(昭和34年)7月17日滋賀大学第2代学長に就任する。8月大津市長より「新大津市史」編纂の依頼を請ける。日本歴史地理学研究会顧問を委嘱される。なお、この間断続的に福井大学文芸学部講師として同大学において半期講義を行っていた(学長就任により退任)。1961年(昭和36年)滋賀県観光事業審議会委員となり、翌年同好の士と共に「滋賀民俗学会」を立ち上げ会長に就任し、月刊「民俗文化」を発行した。1965年(昭和40年)7月16日、任期満了により滋賀大学学長を退任し、10月名誉教授号を授与する。1967年(昭和42年)、日本人類学会名誉会員に補される。その後、1969年(昭和44年)京都学園大学教授となり、1985年(昭和60年)に同大学を退職。1990年(平成2年)2月18日、逝去する。
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