派閥抗争と議会との抗争とは? わかりやすく解説

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派閥抗争と議会との抗争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 04:44 UTC 版)

ジェームズ1世 (イングランド王)」の記事における「派閥抗争と議会との抗争」の解説

1614年からは国王統一政策への反対の声が強くなったり、財政逼迫にもかかわらず議会から十分な課税できないことなど、議会自らの首を絞める存在として強く意識するようになり、議会7年ほど開催しなくなる。これには宮廷内部対立も尾を引き、ソールズベリー伯亡き後ノーサンプトン伯ら親スペイン・カトリック派のハワード家と反スペイン・プロテスタント派のペンブルック伯ウィリアム・ハーバートカンタベリー大主教ジョージ・アボット(英語版)らが対立1614年議会ノーサンプトン伯ペンブルック伯らが呼びかけ財政改革応じないばかりか政府議会抱き込もうするという噂を流したため、議会派閥抗争荒れた末に解散追い込まれた。 派閥抗争議会解散後続きペンブルック伯アボット国王秘書長官英語版)ラルフ・ウィンウッド(英語版)らプロテスタント派ノーサンプトン伯と甥のサフォーク伯トマス・ハワードサマセットロバート・カーカトリック派から国王引き離すため、ジョージ・ヴィリアーズ(後のバッキンガム公)を国王近付けさせた。国王から寵愛されたヴィリアーズ期待応え1618年サフォーク伯失脚させ、サマセット伯も1615年政略結婚絡んだ殺人ベーコン告発され失脚プロテスタント派勝利ヴィリアーズ台頭1616年バッキンガム子爵1617年伯爵1618年侯爵1623年公爵叙爵)、ミドルセックス伯爵英語版)ライオネル・クランフィールド(英語版)が財政改革乗り出したが、赤字解消出来ず1621年議会召集せざるを得なかった。 時期前後して司法コモン・ロー法律家裁判官エドワード・コークとも対立するコモン・ロー信奉者コーク1606年民事高等裁判所首席裁判官英語版)に就任してからコモン・ローを扱う裁判所擁護エクイティ裁判所王権権限管轄争い引き起こしたジェームズ1世ベーコンと共に国王大権擁護して対抗しつつもコークとの和解の道を探り1613年に彼を王座裁判所首席裁判官英語版)へ転任させたが、コーク一向に翻意せずコモン・ロー裁判所拠点にして国王大権対立し続けたため、1616年コーク罷免した。一方コークとの争い一貫して国王理論擁護したベーコン法務長官1613年)、枢密顧問官国璽尚書1617年)、大法官1618年)に昇進させ、同年ヴェルラム男爵1621年にはセント・オールバンズ子爵叙した1618年勃発した三十年戦争において、プファルツ選帝侯フリードリヒ5世はその当事者となったが、1621年には完全に神聖ローマ皇帝フェルディナント2世側に押されオランダに亡命する事態になっていた。そのためジェームズ1世は娘夫婦援助する取り組み行い7年ぶりに議会開き資金集めようとしたが、議会の強い反対によって実現しなかった。この時中心的に動いた人物としてベーコンがおり、それが故に彼は失脚憂き目に会う。 議会初め145000ポンドの特別税徴収認めたが、ジェームズ1世提案したプファルツへの援軍派遣による追加予算認めなかった。独占濫用による商業専売問題になりバッキンガム侯が独占関与議会から追及され恐れが出ると、ジェームズ1世事態収拾動き一部業者から独占取り上げバッキンガム侯の非難をかわすため議会によるベーコン収賄容疑弾劾受け入れ、彼をスケープゴートにして失脚追い込んだその後外交問題議題上ると、外交国王大権のためスペインとの戦争主張する議会激怒して反対議会の大抗議発表して言論の自由を盾に尚も食い下がる議会に更に腹を立て議会解散して抗議首謀者であるコークジョン・ピムらを投獄したピム自宅軟禁済んだとも)。 1622年にはホワイトホール宮殿拡張実施しイニゴ・ジョーンズ設計によるバンケティング・ハウス完成させた。

※この「派閥抗争と議会との抗争」の解説は、「ジェームズ1世 (イングランド王)」の解説の一部です。
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