派閥政治と保革の対立
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 04:12 UTC 版)
1972年(昭和47年)には、日本列島改造論を唱えた田中角栄内閣が成立した。ロッキード事件を経て、三角大福中の自由民主党の派閥争い の時代となった。保革伯仲国会で中道政党(公明党・民社党)と革新政党(日本社会党・日本共産党)が勢力を伸ばす中、田中角栄が闇将軍として君臨した。1976年(昭和51年)以降は自由民主党出身の政治改革派が分離した新自由クラブや日本社会党から構造改革派が分離した社会民主連合などの議員数が少数の新党が結成された。昭和30年代の自由民主党と日本社会党の保守・革新の二大政党制の時代から、昭和40年代から昭和50年代にかけて中道政党や都市型新党が勢力を伸ばして多党化が進んだ。1980年(昭和55年)のハプニング解散による衆参同日選挙で自由民主党が大勝して社共共闘が消滅したこともあり、保守勢力の巻き返しが顕著となる。昭和50年代になり政治的な思想面では靖国神社問題や歴史教科書問題で右翼と左翼の対立が激化して、赤報隊事件などの右翼によるテロ事件が起きた。昭和22年の時点で元号が法制度上廃止されていたが昭和元号の使用普及率は高い状態だった。1947年から1979年までの期間は昭和が慣習として広く国民全体に普及していただけで法制上の根拠が不明確な状態だったので、左翼の間で元号廃止の動きがあった。元号に法的根拠を与えるために1979年(昭和54年)6月6日に大平内閣が元号法を成立させて、改元の法的準備ができた。元号法は同6月12日に公布、即日施行された。
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