歴史と設備とは? わかりやすく解説

歴史と設備

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 04:07 UTC 版)

ウルグ・ベク天文台」の記事における「歴史と設備」の解説

1420年偉大な天文学者であったウルグ・ベクサマルカンドマドラサ建設しウルグ・ベク・マドラサ名付けた。このマドラサ天文学研究の中心としての役割果たし最盛期には6070人の高名な天文学者研究行なっていた。1424年ウルグ・ベクマドラサにおける天文学研究サポートするための天文台建設開始し5年後1429年天文台完成したウルグ・ベクはアリー・クシュズィー(英語版)などの学者とともに当時は「サマルカンド天文台」と呼ばれた施設天体観測行なっていた。アリー・クシュズィーはウルグ・ベク死去するまで天文台働いていた。 他にもカーディー・ザーダ・アッ=ルーミー英語版) (アリー・クシュズィーの死後マドラサ天文台の長となった) やジャムシード・カーシーといった当時一流天文学者ウルグ・ベク天文台集い天体観測行なっていた。 しかし、天文台ウルグ・ベク死去した1449年保守的なイスラム教信者によって破壊されサマルカンド出身ロシア考古学者ヴァシーリー・ヴィヤトキン(ロシア語版)が天文台正確な位置記した文書頼りウルグ・ベク天文台1908年発見するまで全く知られることはなかった。 天文台発掘作業を行う中で、ヴィヤトキンは天文台使用されていた最も重要な天体観測施設である、太陽の南中決定するための観測施設発見した。幅2mの溝が子午線沿って丘の地下掘られており、溝は地中アーチになっていた。今日では、天文台位置には元の構造を示す円形基礎部分と扉が有り、扉はファフリー (Fakhrī) の六分儀地下部分へとつながっており、この部分には屋根ついている六分儀全長11mであり、かつては周り三層構造の一番上にまで達していたが、地震から保護するため地中配置されていた。半径は40.4mであり、当時としては世界最大象限儀 (四分儀) であった中世トルコ天文学者によれば子午線弧半径は約50mであり、イスタンブールにあるハギア・ソフィアモスクのドーム部分と同じ高さであったとされている。建物全高は21m、敷地南北170m、東西85mに渡っていた。天文台では精密な天球儀アストロラーベ用いた太陽、月及びその他の天体観測が行われており、サマルカンド働いていた天文学者子午面上の太陽の高さと天頂赤緯からの距離を用いて毎日正午正確な時刻計算することができた。 1437年天文台用いた天文学的な研究により、12601270年代価値のある三角関数表を作成したマラーゲ天文台英語版)において作成されイルハン朝時代星表更新したズィージ・スルターニー英語版)には改良され惑星パラメータと1,018個の星の座標位置記載されていた。これはプトレマイオスアル・スーフィー仕事単なる更新ではなく天文台における独自の観測基づいていた。実際ウルグ・ベク天文台勤務学者たちは「赤緯赤経用いた恒星位置の決定」の冒頭部分において、単なる更新では見られないはずの多く不正確な計算行なっている。 プトレマイオス時代までに1,022個の星が観測されていた。プトレマイオスアルマゲストの星の一覧にこれらの名前を載せた。これらの星は六等級分かれる。一番明るいものが一等星、一番暗いものが六等星である。それぞれの等級はさらに3つ分類される。星の確認を行うため、21個が黄道の北に、12個が黄道帯に、15個が黄道の南に位置する48個の星座について考察した星々大部分星座の形をなす位置にある一方で、その近辺にある星は星座形成しない星に指定された。アブド・アル・ラフマン・アル・スーフィー有識者にとって有益な書物星座の書」を著している。これらの星の位置の観測始め前に、我々は書籍に従って星々位置天球儀上に配置し、我々はそれらの星の大部分見かけ位置異なっていることを発見した。この神の摂理見て我々は独自に観測を行うことを決定しスーフィー仕事が行われた当時から星の位置が移動していることを発見した星の位置が移動するという一般的な考察のもと星の絶対的な位置与えると、肉眼による観測違いなくなった一覧表において、我々はヒジュラ暦841年 (西暦1437年)初頭における星の位置を示した、これにより70太陽年1度進むという仮定のもと、いついかなる時の星の位置も計算できるウルグ・ベク天文台行われたこれらの発見研究当時天文学者にとって日食予測し日の出天体推移時刻計算する上で極めて重要なものであり、彼らは恒星年 (一年長さに相当) を365日6時10分8秒と計算した。これは約600年後の現代計算によって得られる数値である365日6時10分9.6秒と約2秒しか違わないという精確であった1449年天文台破壊されたが、その後も約75年間に渡ってサマルカンド天文学研究続けられた。

※この「歴史と設備」の解説は、「ウルグ・ベク天文台」の解説の一部です。
「歴史と設備」を含む「ウルグ・ベク天文台」の記事については、「ウルグ・ベク天文台」の概要を参照ください。

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