歴史と設定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/10 22:21 UTC 版)
もともとこの墓地の西区画はロンドン郊外にある現代式の大規模墓地(「華麗なる七つ」(en)として知られる)のひとつとして1839年に開設された。ロンドン市内の墓場のほとんどが教会付属の墓地であり、埋葬者をさばききれず、また衛生面での問題もあったため、死者に対して尊厳の無い仕打ちでもあった。当初の設計は、建築家、起業家のスティーブ・ゲアリイ(en)が行った。 ハイゲイトは他の現代式の墓地と同じく、埋葬地としての流行の最先端となり、畏敬され訪問者も多かった。死に対するヴィクトリア朝風の趣とその雰囲気のため、富裕階級のゴシック風墓碑と建造物が作られることになる。当墓地はハイゲイト丘の頂上やや下の美しい南斜面に位置し、ワーテルロー公園(en)に接している。どちらも以前はダートマス公園であった。 1865年に、東区画を作るためスワインス・レーンを挟んだ東側を買い取った。この部分は現在でも、西区画とともに荼毘に付すのに使われている。 墓所はほとんどが原生林で、灌木と野草が生い茂り、鳥やキツネなどが多く棲息している。エジプト街(the Egyptian Avenue)と、レバノン回廊(the Circle of Lebanon)はレバノン杉の大木に覆われているのが目玉であり、円蓋と小径が斜面に並ぶ。保護のために、多くのヴィクトリア朝風の廟や墓石、凝った墓のある旧区画は、案内付き団体のみの見学が可能である。ヴィクトリア朝風と現代風の墓の混在する新区画は自由に回ることができる。 カール・マルクスの墓、エジプト街、納骨堂は一級建築文化財として登録されている。 最寄りの公共輸送機関はアーチウェイ駅である。 ハイゲイト墓地は、ハイゲイト吸血鬼の住処としての超常現象の地としても知られている。 1970年1月18日、カール・マルクスの墓と胸像に何者かが爆弾を仕掛けて破壊する事件が発生した。胸像は鼻の部分が欠け、台座部分にはナチスのカギ十字の落書きが残されていた。胸像などは後に修復されている。
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