校舎改築問題
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1999年(平成11年)に大野和三郎が町長に就任すると、2000年(平成12年)に町のもう1つの小学校である日栄小学校の改築に着手したことに続き、豊郷小学校についても施設の老朽化と耐震性を理由として校舎と講堂を解体するとともに新校舎の建設を目指す方針を打ち出し、町議会もこれを賛成多数で承認した。 これに対し、地元町民からは歴史のある校舎を取り壊すことに反対する意見が出され、賛成意見を大きく上回った。2001年(平成13年)10月に「豊郷町の歴史と未来を考える会」が設立され、大津地方裁判所に講堂の解体工事の差し止めを求める仮処分申請を行い、2002年(平成14年)1月に裁判所は差し止めを認めた。町側は地裁の判断を一旦不服として高等裁判所に抗告したものの、講堂を保存する方向に方針転換。しかし、校舎に関しては解体の方針を変更しなかった。 2002年8月、考える会は大津地裁に校舎解体差し止めを求める仮処分を申請し、12月19日に承認されるが、大野町長は地裁の判断や町民の意向を無視して同月20日に強行的に解体工事を開始。解体中止を求めて抗議した女性を作業員が床に叩きつけるなど、暴行を加える様子もニュースで放送された(町長や作業員は本件で2004年(平成16年)1月に書類送検された)。これを受けて町民は工事の差し止めを求めて校舎に立てこもり、町長も工事中止を発表する。かかる状況の中、大野町長は24日になって方針を転換し、新校舎を建設しながらも旧校舎を保存するとした。 新校舎の建設にこだわった大野町長の姿勢の背景には、多額の新築費用が生じる公共事業による地域活性化や、改修の場合には国による費用の補助割合が低く設定されていることを指摘する声もあるが、「考える会」は実際には国庫補助金は新築と改修で同額であり、町税の無駄遣いに過ぎないとする。また、改築の根拠の一つとなっていた耐震性については、耐震診断のデータに不自然な点があることが明らかになっている。日本建築学会は校舎の老朽化や耐震性の問題について、改修によって対処可能と指摘している。 この後、2003年(平成15年)3月にリコールによって大野町長はいったん失職をしたが、同4月に統一地方選挙の一環として行われた町長選挙に立候補し、解体反対派候補の分裂もあって「歴史と未来を考える会」側の立候補者等を破り、町長に返り咲いた。2003年3月には住民によって新校舎建設の差し止めが請求されたものの、6月に着工した新校舎は2004年3月に完成した。 考える会側は大野町長に対する損害賠償請求、校舎建設費の支出差し止め請求および賠償請求の3件の訴訟を起こしたが、損害賠償請求および支出差し止め請求については、町長に賠償を認め、また、支出差し止めを命じる判決が最高裁でそれぞれ確定。また、2007年(平成19年)12月には校舎建設費の賠償について、建設業者などが校舎保存のための寄付を行うことなどで和解が成立し、校舎改築問題に関する訴訟は全て終了した。なお、大野町長は2007年の統一地方選挙では町長選に出馬せず、県議会議員選挙に出馬したが落選、2011年の統一地方選挙で県議会議員(犬上郡選挙区)に当選した。 その後、2008年(平成20年)10月より、約5億5300万円をかけて旧校舎の耐震・改修工事を開始。一方、考える会側も、設計事務所に旧校舎の耐震診断を依頼し、3階の一部への軽微な補強(約500万円)以外の工事は不必要との解析結果が得られたとし、また不必要な工事によって旧校舎の文化財的価値を毀損したとして、2009年(平成21年)3月に設計事務所と伊藤定勉町長に対し、設計監理業務の委託費約3000万円の返還を求める訴訟を起こした。旧校舎は耐震工事完了後の同年5月30日、町立図書館などが入居する複合施設として再出発した。
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