校舎火災から「廃校」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/24 23:43 UTC 版)
「大阪府立和泉高等学校」の記事における「校舎火災から「廃校」」の解説
終戦直後の混乱期の1948年(昭和23年)11月17日に原因不明の火災により、校舎を焼失した。大阪府内ではGHQの指示により「義務教育優先」として高校の校舎を新制の中学校の校舎に転用する例も相次いでおり、火災を機に廃校や他校へ合併されるのでは、という噂が飛び交った。生徒や教職員が廃校・合併反対運動を起こし、大阪府教育委員会も「廃校や合併ではなく現在地での校舎再建を進める」と表明した。 当時、泉南郡樽井町(現在の泉南市)が「佐野以南の泉南地域」への高校誘致を進め用地も町で準備しており、火災を機に和泉高校に樽井町移転を打診したが、学校関係者は断っている。 なお、焼失した校舎は1950年12月30日、元の場所に復旧している。
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