旧東京都庁舎・丸の内庁舎
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 05:10 UTC 版)
「東京都庁舎」の記事における「旧東京都庁舎・丸の内庁舎」の解説
東京府庁舎は当初、東京市幸橋門内(現在の東京都千代田区内幸町一丁目)に置かれ、1889年に丸の内(現在の千代田区、有楽町駅近く)に移った。1894年に、妻木頼黄設計による赤煉瓦二階建て、ドイツ風の庁舎が完工した。また、東京市庁舎は、1898年に、府庁舎内に開設された(それまでは東京府知事が東京市長を兼ねており、特に市庁舎は無かった)。その後、業務の拡大と共に、敷地内に分庁舎が数棟建てられている。 第二次大戦中の1943年7月1日に、東京市と東京府が廃止され、東京都が設置された。したがって、赤煉瓦の東京府庁舎が、初代の東京都庁舎ということになる。この建物は戦災で焼失した。 戦後、赤煉瓦の庁舎の跡地に建てられた第一庁舎(旧庁舎、丸の内庁舎)は、指名設計競技によって(現庁舎と同じく)丹下健三の案が選ばれ、1957年2月22日に落成した。モダニズムの典型的な作例で、開放的なピロティなど、ル・コルビュジエ的な要素を使いつつも、その作品とは異なり、鉄骨・ガラスといった近代的素材を多用して、一般に「軽さ」を表現しているといわれる。地上8階建て、横長の建物で、新都庁舎が持つ強烈な象徴性(モニュメンタリティ)とは比較できないものの、立面の美しさや構造の独創性(コア・システム)などの点から、丹下健三の代表作の一つとされている。 1950年代末の当時においては、オフィスビル(または地方公共団体の庁舎)のモデルケースとしての意味も持っていた。都庁の新宿移転によりその用途がほぼ完全に失われること、都心の一等地であり再開発して土地を有効活用する必要があったこと、また、モダニズム建築の価値が評価される時期ではなかったこと(建設後30年強に過ぎず、歴史が浅かった)などから、当初から建物の保存は真剣に考慮されてはいなかった。 旧都庁舎のうち、線路の西側にあった第一庁舎やその他の庁舎はすべて解体され、跡地は東京国際フォーラム(ラファエル・ヴィニオリ設計、1996年完工)となっている。また、線路の東側にあった第二庁舎は解体され跡地は駐車場となっているが、第三庁舎の建物は豊田通商東京本社に転用されたあと(2010年品川に移転)、住友不動産丸の内ビルを経て、現在は警視庁丸の内警察署の仮庁舎となっている(17階建て高さ67.25m)。第六庁舎跡地は1997年に阪急電鉄に土地を貸し付け、プレハブ建の仮設劇場「TAKARAZUKA1000days劇場」が竣工し、1998年1月から2000年12月末まで建替によって閉場した東京宝塚劇場に代わり宝塚歌劇の公演が行われた。その後更地に戻す契約であったが、都側の意向により建物が継続使用となり、住友不動産へ譲渡され、ショッピングセンター形態の「有楽町インフォス」となり、同年11月に1F-3Fに無印良品の旗艦店となる「無印良品 有楽町」、1Fにソフマップ(その後ビックカメラ有楽町店別館に改装)が開店した。2011年9月ビックカメラ有楽町店別館跡地に有楽町ロフトが開店した。2017年度都市計画決定に向けて有楽町駅周辺開発事業として国家戦略特区の事業に指定され、MICEを中心とした再開発事業が行われる予定となっている。しかし2019年にラグビーワールドカップと東京2020大会に向けたスポーツ拠点東京スポーツスクエアが設けている。 旧庁舎前のシンボルであった太田道灌の銅像は現在も東京国際フォーラム前に残されている。
※この「旧東京都庁舎・丸の内庁舎」の解説は、「東京都庁舎」の解説の一部です。
「旧東京都庁舎・丸の内庁舎」を含む「東京都庁舎」の記事については、「東京都庁舎」の概要を参照ください。
- 旧東京都庁舎・丸の内庁舎のページへのリンク