旧東京朝日新聞社社屋(有楽町社屋)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/17 10:29 UTC 版)
「朝日新聞東京本社ビル」の記事における「旧東京朝日新聞社社屋(有楽町社屋)」の解説
朝日新聞社東京本社は当初、銀座に社屋があったが、関東大震災で全焼した。そのため、1927年(昭和2年)3月20日に社屋を有楽町に移転した。社屋の敷地は日華生命保険の所有地であり、面積は約3300.5㎡、江戸時代には数寄屋見付跡だった。朝日新聞社にこの敷地を紹介したのは、読売新聞社社長正力松太郎だった。敷地の買収費用が100万円、社屋の工費が約250万円だった。有楽町社屋は地下1階、地上7階、塔屋2階の鉄筋コンクリート造りであり、工事は竹中工務店が担当した。 有楽町社屋の設計者は石本喜久治であり、分離派建築である。建築外部の色彩は、1階と2階に「平和」を意味する青色で、3階以上は「希望」を意味する黄色で塗装された。6、7階に大ホールを設置し、1,200人を収容することができる。塔屋1階に鳩舎を設け、200羽の伝書鳩を収容することができる。 朝日新聞東京本社の築地移転で有楽町社屋が解体され、1984年に「有楽町マリオン」として再開発された。
※この「旧東京朝日新聞社社屋(有楽町社屋)」の解説は、「朝日新聞東京本社ビル」の解説の一部です。
「旧東京朝日新聞社社屋(有楽町社屋)」を含む「朝日新聞東京本社ビル」の記事については、「朝日新聞東京本社ビル」の概要を参照ください。
- 旧東京朝日新聞社社屋のページへのリンク