日本国内におけるシュラウドの交換工事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/05 00:20 UTC 版)
「シュラウド」の記事における「日本国内におけるシュラウドの交換工事」の解説
東京電力を始めとする初期型のBWRを保有する電力会社では、配管等、比較的容易に交換可能な部材については応力腐食割れ対策品への交換工事が1980年代初頭頃までに実施されていた。一方、シュラウドは容易には交換可能ではなかったため交換出来ない状況が続いたが、1990年代に入るとシュラウドも応力腐食割れが進行し、1994年に福島第一原子力発電所2号機のシュラウドに亀裂が生じるなどのトラブルも生じてきた為、対策として交換技術を1990年代に数年かけて確立し、1997年6月より1年ほどの工程で3号機にて世界初のシュラウド交換工事が実施され、その後1990年代末にSUS304を使用している福島第一原子力発電所の一部プラントにおいて、順次交換工事を実施する計画が立てられた。なお、東京電力は日本国内でBWRを運用する電力各社でも特に早期から導入を行ったため、同原子力発電所では1,2,3,5号機が交換対象に該当する。 このようなシュラウド交換が必要となった背景として、桜井淳は、本発電所建設時代には軽水炉の拡大に重点が置かれ、1967年のドレスデン原子力発電所(米イリノイ州)での応力腐食割れの教訓を十分に吟味する時間的余裕を取らなかったこと、それから四半世紀余り後になり、高速増殖炉もんじゅナトリウム漏洩事故などによる世論の風当たりにより原発の新規立地、既存発電所への増設計画が進展しなかったことで、東京電力が老朽原子炉の安全対策を強化し、打開策とした旨の見解を取っている。 なお、3号機では1997年5月26日に運転を停止し検査、大規模保修に入った。工事は第16回定期検査と併せて実施された。シュラウド・炉内構造物の交換工事に240日かかり、その他通常の定期検査での実施事項も加わって全行程は300日であった。シュラウド交換工事の発注先は東芝と明らかにされたが、金額の明示は無く、業界筋の見積もりで100億円は下らないと言われていたという。ただし、同発電所での工事でノウハウを蓄積し、海外のプラント保修ビジネスに日本独自の技術として売り込む試金石としての指摘もなされていた。 なお、1999年11月24日に開催された福島労働基準局と県の情報交換会議によると、初のシュラウド交換工事を実施した3号機の場合、請負一人当たりの最大線量当量は26.7mSv、2号機の場合は工事期間が1998年8月12日から1999年5月27日に渡り請負一人当たりの線量当量は最大で24.5mSv、これに対して東京電力社員は5.3mSvであった。2000年10月、双葉地方原発反対同盟は朝日新聞の取材に対し交換工事での線量を低減するように求めるコメントを出した。 その後、同所では2号機、5号機で実施された。東京電力は3件目の工事となる5号機のシュラウド交換作業の効率化を企画、従来150億円かかった工事費を10%削減する計画を立てた。具体的には工法を変更し、カッター10個を装備した円盤状の切断機や鉄粒を混ぜた高圧水の吹付装置、狭隘部での溶接ロボットを新規開発、従来3000名必要だった作業員を1700名に削減し、工期も3号機実績より110日削減して316日で計画した。5号機の工事が完了した後、1号機で交換工事を実施する計画であった。1号機は2011年に運転開始から40年を控えて高経年化対策を打つ必要があったこともあり、同様に実施された 「東京電力の原子力発電」も参照 同社の他は、日本原子力発電敦賀発電所1号機、中国電力島根原子力発電所1号機などで実施された。なお、敦賀1号機では交換済みのシュラウドに2002年9月、ひび割れの兆候が発見されている。 同世代に属する浜岡原子力発電所1,2号機は耐震裕度向上工事と併せて実施を検討したが、コスト面の問題からリプレースが望ましいとして2008年末、廃炉を決定した。 「浜岡原子力発電所#1号機、2号機の廃炉と6号機の新設計画」も参照
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