新たな領域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 08:15 UTC 版)
「リンダ・ロンシュタット」の記事における「新たな領域」の解説
1978年の『Living In The U.S.A.(ミス・アメリカ)』ではエルヴィス・コステロの「アリソン」を取り上げ、続く1980年『Mad Love(激愛)』では、コステロ作品を3曲収録し、パンク/ニュー・ウェイヴ時代のハード・エッジなバンドサウンドを取り入れファンを驚かせた。 1980年代以降は、ポピュラー音楽史上、例のないほど、勇敢に広範な分野に踏み込む。1981年にはプロデューサーのジェリー・ウェクスラーの助けを借りて、ロック以前の時代の偉大なソングライターたちのスタンダードを録音。しかし出来に満足できずこれをお蔵入りさせたが、1982年の『Get Closer』を挟んで、改めて挑みスタンダードに挑戦した三部作、1983年『What's New』、1984年『Lush Life』、1986年『For Sentimental Reasons』を発表、3枚合わせて米国内だけで800万枚を売り上げるベストセラーとなった。オーケストラを従えてのツアーも成功させた。この三部作によって、リンダは次々に登場したMTVのスターたちと競り合う必要のない歌手像を手に入れた。自信を得たリンダは次々に新たなジャンルに踏み入っていく。1986年には、長編アニメ映画「アメリカ物語」の主題歌「Somewhere Out There」をジェームス・イングラムとのデュエットで大ヒットさせ、1987年にはエミルー・ハリス、ドリー・パートンとの夢の競演アルバム『Trio』を発表、カントリーとポップ両方のチャートでヒットし400万枚以上売り上げた。同じ1987年のアルバム『Canciones De Mi Padre』は、表題通りに父から学んだメキシコのトラディショナル・ソングをマリアッチ楽団の伴奏で歌った冒険作であったが、メキシコ系に熱狂的に受け入れられ200万枚以上を売り、グラミー賞を獲得した。 1992年にはボレロを歌った『Frenesi』など、スペイン語アルバムを発表し、2008年にラティーノの肯定的イメージに貢献した芸能人に贈られるALMA(アメリカン・ラティーノ・メディア・アーツ)賞を受賞した。1989年のアルバム『Cry Like A Rainstorm, Howl Like The Wind』からは、アーロン・ネヴィルとのデュエットで「Don't Know Much」が全米2位の大ヒットで、数々のデュエットナンバーを多く歌う切っ掛けとなるが、これがチャート上位に食い込んだ最後のアルバムとなった。1970年代と1980年代に世界最高の売上げを記録した歌手ともいわれる。1990年代に入ると以前ほどの話題を呼ぶことはなくなった。音楽業界の変化もあるが、自身が私生活を優先し最低限のプロモーションしかやらなくなったこともある。独身のまま二人の子どもを養子に迎え、1996年には子守歌集『Dedicated To The One I Love』を発表している。
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