文化財・名所旧跡
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池上本門寺 (日蓮宗大本山) 本行寺(池上大坊)(日蓮宗本山) - 日蓮聖人入滅の地 池上梅園 大森貝塚縄文時代後期 - 末期の貝塚。 多摩川台古墳群 鵜の木一丁目横穴墓群鵜の木松山公園(旧鵜の木公園、鵜の木1-6-1)の斜面地に保存展示されている。 洗足池中世以来の歴史を持つ。池の名は池上宗仲の館に向かう途中の日蓮が休息をとり、池の水で足を清めたことに由来。その際袈裟をかけたという「袈裟掛けの松」がある。 勝海舟と妻の墓所がある。かつては勝の別邸千束軒があった。 宇治川の先陣争いで有名な名馬池月誕生の地との伝承あり。池月を顕彰した像がある。 伝梶原景時墓(万福寺境内)南馬込にある。源頼朝の重臣梶原景時の墓と伝えられる。近くの大田区立郷土博物館の向かい側の民家は古くから梶原屋敷と呼ばれ、景時の館跡の伝承有り。 磨墨塚南馬込にある。宇治川の先陣争いで有名な梶原景季の愛馬の墓との伝承があり、馬頭観音と磨墨塚と刻した石碑が塚上に建つ。 馬込文士村関東大震災後に、山王、中央、馬込、池上に跨る武蔵野台地に多くの文士・芸術家が移り住んだ。当時の面影を感じさせる街並みが今も所々に残る。 新井宿義民六人衆の墓(善慶寺境内)山王三丁目にある。領主木原重弘の苛酷な年貢取立てに加え、旱魃と洪水で疲弊していた新井宿村の有志6名が、1676年(延宝4年)12月28日幕府への直訴を企てるも捕えられ処刑された。その後、年貢が半減された事から6名は義民として崇められたという。池上通り沿いの善慶寺参道入り口に「新井宿義民六人衆霊地参道」と記された大灯篭が設置されている。 日本帝国小銃射的協会の碑(大森射的場跡)山王二丁目にある。1899年(明治32年)明治天皇の御下賜金200円を基金に日本帝国小銃射的協会が設立された。1937年(昭和12年)周囲の宅地化により射撃場は神奈川県鶴見北寺尾へ移転し、現在は大森テニスクラブとなっている。 三島由紀夫旧居南馬込四丁目32番8号にある。未亡人没後、写真集『三島由紀夫の家』(写真・篠山紀信、文・篠田達美、美術出版社、1995年)で紹介された。今も「三島由紀夫」の表札がかかる。 矢口の渡し跡1358年(正平13年/延文3年)、南朝方の新田義興が渡河中に謀殺されたと伝えられる多摩川の渡し場。昭和24年に廃止された多摩川大橋の上流側にある渡し場跡には大田区教育委員会設置の表示板がある。近くには義興の霊を祭る新田神社がある(大田区矢口一丁目21番23号)。中世頃の渡し場は新田神社付近にあったという。ちなみに、東京都世田谷区玉川三丁目2番1号東急二子玉川駅近くには義興と伴に落命した家臣由良兵庫助の亡骸が流れ着き、付近の住民が葬ったと伝えられる兵庫島(兵庫島公園)がある。 七辻南蒲田にある7方向交差点。 日本船用ディーゼル機関発祥の地かつて蒲田本町に存在した新潟鐵工所が船用ディーゼル機関を製作した。 延喜式神名帳記載神社薭田神社(蒲田三丁目) 六郷神社(東六郷三559907丁目 ) 雪谷八幡神社(久が原二丁目) 磐井神社(大森北二丁目) 池上本門寺(祖師堂) 大森駅前にある『馬込文士村の住人』のレリーフ 上空からの七辻の画像(南蒲田) 薭田神社(蒲田) 磐井神社(大森)
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