うじがわ‐の‐せんじんあらそい〔うぢがは‐センヂンあらそひ〕【宇治川の先陣争い】
宇治川の戦い
宇治川の先陣争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 03:56 UTC 版)
『平家物語』によれば、この戦いで景季は佐々木高綱と有名な宇治川の先陣争いをして武名をあげている。鎌倉を出発するときに景季は頼朝に名馬・生食(いけづき)を賜るように願ったが、頼朝はこれを許さず代わりに磨墨(するすみ)を与えた。ところが、頼朝は後で生食を佐々木高綱に与えてしまった。軍中で高綱が生食に乗っていることを知った景季は恥辱と考え、高綱を殺して自害しようと決意する。高綱が機転を利かせて、これは賜ったのではなく盗んだのだと言うと景季は「自分も盗めばよかった」と笑った。 義経軍と義仲軍は宇治川で対陣し、高綱は生食、景季は磨墨に乗って一番乗りの功名を立てんと川に乗り入れようとした。高綱が「馬の腹帯が緩んでいる。絞め給え」と助言し、景季は落馬しては一大事と馬の腹帯を締め直していると、その隙に高綱が川に進み入ってしまった。謀られたと知った景季も急いで川に乗り入れ、川中で激しく先陣を争い、結局、高綱が一歩早く対岸に上陸して一番乗りを果たした。 範頼・義経はこの宇治川の戦いで勝利し、義仲を討ち取った。
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