千束八幡神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/29 10:00 UTC 版)
千束八幡神社 | |
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![]() 鳥居 |
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所在地 | 東京都大田区南千束2-23-10 |
位置 | 北緯35度36分07.9秒 東経139度41分20.6秒 / 北緯35.602194度 東経139.689056度座標: 北緯35度36分07.9秒 東経139度41分20.6秒 / 北緯35.602194度 東経139.689056度 |
主祭神 | 品陀和気命 |
社格等 | 旧村社 |
創建 | 貞観2年(860年) |
別名 | 洗足池八幡宮 |
例祭 | 9月6日に近い土日 |
地図 |
千束八幡神社(せんぞくはちまんじんじゃ)は、東京都大田区南千束にある神社。洗足池八幡宮(せんぞくいけはちまんぐう)とも称される[1]。
概要
洗足池公園の北西端に鎮座している。
創建は平安時代の貞観2年(860年)、豊前国(現・大分県)の宇佐八幡を勧請して千束郷の総鎮守として創建されたとされる[2]。
アクセス
脚注
外部リンク
- 千束八幡神社 - 東京都神社庁
千束八幡神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 03:54 UTC 版)
千束八幡神社(せんぞくはちまんじんじゃ)は、洗足池の西のほとりに鎮座する神社である。品陀和気之命(応神天皇)を祭神とする。「旗挙げ八幡」とも呼ばれる。 860年(貞観2年)に千束郷の総鎮守として宇佐八幡から勧請された。10世紀前半の平将門の乱の際に鎮守副将軍として関東へ派遣された藤原忠方は、その後に千束八幡を氏神としてこの地に残り、池上姓を名乗ったという(子孫からは池上宗仲や池上幸豊などの人物を輩出している)。また、11世紀前半の後三年の役では、奥州討伐へ向かう源義家が戦勝を祈願したとここにも伝えられている。 1180年(治承4年)、安房国から鎌倉へ向かう途中の源頼朝がこの地に宿営したところ、池に映る月のような姿のたくましい野生馬が現れこれを捕らえたとの伝承が残る。後に宇治川の先陣争いで佐々木高綱を乗せ、梶原景季の磨墨と競うことになる、名馬「池月」である。頼朝軍はこれを吉兆とし、旗を差し上げ大いに喜んだという。本殿の横に赤目で歯をむく池月を描いた大きな絵馬が奉納されており、さらに境内には池月の像が置かれている。 例大祭は9月に行われており、重要無形民俗文化財に指定されている神楽が奉納され、洗足池の秋まつりとして親しまれている。
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