教育についてのクインティリアヌス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 04:22 UTC 版)
「クインティリアヌス」の記事における「教育についてのクインティリアヌス」の解説
「それで、私の狙いは完璧な弁論家の教育である」(クィンティリアヌス、1.序.9)。『弁論家の教育』の第1巻は、主に弁論家の訓練の方法(ほぼ出生からの)を詳細に論じている。初期の包括的な教育の焦点は、多くの点で、クインティリアヌスの経験を反映したものである。皇帝ウェスパシアヌスによって教育の公職につけたことは、1つの良心的な教育の時代の表れであって、長きにわたる教育者としてのキャリアとは別に、その教育方針へのクインティリアヌスの貢献がこの序論であり、それはこの本のハイライトと考えられている。「クインティリアヌスの『弁論家の教育』はローマの教育史におけるランドマークである。それは長い発展の頂点で、それにとってかわるものはなかった……クインティリアヌスほどの権威をもって話せた教師、第二の『弁論術の教育』を生み出すほど十分な技術理論に関心のあった弁論家はいない」。 クインティリアヌスの教育理論は、キケロとはまた異なるものであった。キケロは幅広く一般的な教育を要求したが、クインティリアヌスはよりポイントを絞った。クインティリアヌスは「誕生の瞬間から父親が高い希望を考える」段階的な教育のプロセスを据えた(1.1.1)。懸念は子供の乳母がきれいに話すことができるか——クリュシッポスによるとこの考えは乳母が哲学者でなければならないことになる(1.1.4)——ということと、両親と子供の教師がちゃんとした教育を受けているかということである。両親については、「父親だけに限定されるものではない」(1.1.6)とクインティリアヌスは言う。良い教育を受けた母親は弁論家を育てる重要な人物と見なされる。クインティリアヌスは教育に適した文学も広く挙げ、そのために、この本は文芸評論の重要な本でもある。特定の作家たち——とりわけ偉大な作家および弁論家の例として挙げているキケロ——をはっきりと贔屓する一方で、たとえばガイウス・サルスティウス・クリスプスといった平凡な作家たち、反対のタイプのスタイルを持つ影響力の大きな弁護士にさえもいくらか考慮しているのは、クインティリアヌスの公正さと言えよう。 クインティリアヌスは、今日でも問題とされる多くの教育の問題を論じる。前述したように、教育は早く始めるべきと言うだけでなく、教育は子供にとっても楽しいものであるべきだとも述べている。「何ものにもまして、我々は、まだ教育を愛するに十分な年齢に達していない子供たちが教育を好きなるためには、幼い時に経験した楽しい思い出は残るもので、教育の本来の楽しさ、美しさを伝えるのが当然であり、子供の勉強は娯楽から作られるべきである」(1.1.20)。現代の就学前の子供たちへの教育玩具は、クインティリアヌスの意見が正しかったことを示している。クインティリアヌスはさらに家庭教育に対する学校教育のさまざまな賛否についても説明し、最終的に、それが良い学校である限り、学校教育が望ましいと私見を述べている。つまり、学校教育は勉強と一緒に社会的なスキルも教え、隔離されたところで勉強するよりも有益であるというのである。しかしながら、1つ注意しておくべきは、クインティリアヌスが「良い教師は自分が管理できる以上の生徒を請け負うべきではなく、それは彼が我々と友好的で親しみのこもった関係にあり、また、教えることは義務ではなく好きな仕事となるようにすることが、何よりも重要なことである」(1.2.15)と述べていることである。 しかし、弁論家の育成についてのクインティリアヌスの最も興味を引く点は、何よりも道徳を教えなければならないというものである。クインティリアヌスにとって、良い人間だけが雄弁家になることができる。それはキケロと相違する点とも言えるし、あるいは弁論家は良い人間でなければならないとするキケロの訓辞をさらに推し進めたものとも言える。クインティリアヌスは文字通りに、悪い人間は弁論家になるべきではないと信じていた。「なぜなら弁論家の目的は説得をもたらすことで、我々は、自分たちで信用の価値があるとわかる者しか信頼しない」。これは、おそらくクインティリアヌスが生きた時代の不正と放蕩さに対する反動であろう。クインティリアヌスは弁論家の役割が衰退したのは、公衆道徳の衰退が原因だと考えたのだろう。悪徳から解放された人間のみが厳格な弁論術に関わるべきである。しかし、「良い人間は常に真実を話すわけではなく、さらにはより良い主張を擁護するわけでもない……大事なことは動機としての行動ではない」。したがって、クインティリアヌスのいう良い弁論家は個人的に良いが、必ずしも公的に良いわけではない。
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