政治家・銀行家として
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「リスト・リュティ」の記事における「政治家・銀行家として」の解説
フィンランド内戦の期間中、リュティは赤衛軍の支配下にあったヘルシンキに家族と共に隠れ住んでいた。その後リュティは1919年に国民進歩党の国会議員に選出された。この時リュティは30歳で国会議員としては二番目に若い議員であった。国民進歩党の候補者でリュティが支持するカールロ・ユホ・ストールベリがフィンランドの初代大統領に選出された。リュティは始め1919年から1924年の間、次に1927年から1929年まで国会議員を務め、法務委員会の委員長と、財務委員会の委員長を歴任した。1924年から1927年までの間はヘルシンキ市議会の議員であった。 リュティの主張する自由主義、民主主義、共和主義は人気があったため、リュティは内戦後のフィンランドにおいて数年間で政治的成功を為した。さらに、リュティが経済政策の専門家であり、党派政治を拒否した祖国の公平な奉仕者と国民に考えられたので、リュティの自由主義を指向する進歩国民党が零細政党になった後でさえ、リュティ個人の政治的成功は続いた。 1921年に、32歳のリュティはユホ・ヴェンノラ内閣の財務大臣に任命された。リュティは1924年まで2度財相に留任され、1923年にカールロ・ユホ・ストールベリ大統領は、リュティをフィンランド銀行の総裁に任命した。リュティが1924年1月に財相を辞任した後、リュティはフィンランド銀行の総裁職を1939年に首相になるまで専任した。リュティはその議会での活動の初期において、政府予算を秩序だった物にすることに成功した。リュティは赤衛軍に所属していた囚人の恩赦を拒否した。リュティの見解では赤衛軍は犯罪者であった。リュティはフィンランド内戦の社会的背景を考慮することを拒否した。 1925年に、リュティは36歳で大統領選挙の候補者に指名された。大統領選挙の第二次投票では、リュティが最も多くの支持を得た。しかし第三次投票ではスウェーデン人民党の票が、ラウリ・クリスティアン・レランデルに流れ、レランデルの172票に対して109票でリュティは敗れた。リュティの支持者は毎年増加していたが、大統領選挙には十分ではなかった。1930年代のリュティは日常の政治からは身を引いたものの、経済政策には影響を及ぼした。リュティは古典的自由主義経済学の支持者であった。リュティはフィンランド・マルッカの価値を金本位制により保証することを目標にした。多くの他のヨーロッパ諸国とは異なり、フィンランドはリュティの指導下でデフレ解決策を採用しなかった。1926年にフィンランドの通貨は金マルッカに移行した。しかし、1929年の大恐慌の後、フィンランドはイギリスの例の後に、金本位制を放棄せざるを得なかった。 1920年代には、スカンジナビアの銀行業界と国際的な接触を行った。そしてイギリスとアメリカで、ウォールストリート・ジャーナルはリュティの成功を認めた。1934年にリュティはイギリスとフィンランドの関係に貢献したとしてロイヤル・ヴィクトリア勲章の騎士司令官章を授与された。リュティは、類似した経済政策(例えば大恐慌までの金本位制に対する信頼)と優れた英語力によって、イングランド銀行の指導者と良好な関係が築かれていた点に注意しなければならない。実際、リュティが経済政策や財政政策をイギリスと協議したかった時、リュティはイングランド銀行の指導者に定期的に電話をかけることが出来た。リュティは経済問題と金融政策に対処する委員会の委員として、国際連盟の活動に参加した。 1930年代の政策において、リュティは重要人物であった。リュティの社会政策はふたつの方針を持っていた。リュティは失業者や貧困層を支援するための雇用対策への支出に反対した。一方でリュティは強い経済力による利益が、平等に全国民に行き渡らなければならないと考えていた。リュティは1930年代後半の社会福祉を構築することにおいても重要な役割を果たした。一般的に、リュティは商業や工業に対する政府による干渉には反対していた。リュティは社会主義経済学、特にソビエト型社会主義経済に反対であった。さらにリュティはナチス・ドイツの国家社会主義にも右翼の過激主義も認めなかった。リュティ個人としても、フィンランドのロシア化の時代とフィンランド内戦を経験していたため反ソビエト感情を持っていた。リュティは1920年代末期から1930年代初頭にかけてフィンランドで勃興した反共・ファシズム運動であるラプア運動にも反対した。リュティはイギリスの文化文明とアメリカの自由経済の信仰者であった。
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