掲載媒体・タイトルの変遷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 20:14 UTC 版)
「フクちゃん」の記事における「掲載媒体・タイトルの変遷」の解説
東京朝日新聞・朝日新聞(1936年10月1日 - 1944年3月4日) - 当初は「養子のフクチャン」の題で開始。大阪朝日新聞にも数日遅れで掲載された。何度か改題されたほか、作者の事情で連載を打ち切っていた時期もあった。セリフはすべてカタカナ書き。おじいさんの着物の柄は途中からアルファベットから算用数字に代わった。養子ノフクチャン(1936年10月1日 - 1937年7月31日) - 夕刊掲載。 末ッコゴロチャン(1937年8月1日 - 1937年12月31日) - この作品から朝刊掲載。近所の友達・ゴロちゃんが主人公のスピンオフ作品。しかしフクちゃんも頻繁に登場しており、内容はほとんど変わりがなかった。 フクチャン部隊(1938年1月1日 - 1939年7月6日) - 朝刊連載。主役をフクちゃんに戻す。 コドモ指南アラクマ道場(1939年7月7日 - 1939年12月31日) - 朝刊連載。主役にアラクマを据えたスピンオフ作品。アラクマ主宰の「アラクマ道場」でフクちゃん達が稽古に励む。 ススメ! フクチャン(1940年1月1日 - 1941年12月31日) - 朝刊連載。再度主役をフクちゃんに戻す。 フクチャン実践(1942年1月1日 - 1942年12月18日) - 朝刊連載。ネタの多くが戦時下向けに。最終回は「みんな海外に行く時代」「ここも狭い」とフクちゃんがコマを飛び出し、ここで一度打ち切られる。 ジャバノフクチャン(1942年6月23日 - 1942年8月23日) - 7月22日までは挿絵が描かれた海外レポート。同年8月1日に3コマ物の漫画になり、ジャバ(ジャワ島)で原住民と共に暮らすフクちゃんが描かれた。 フクチャン従軍記(1942年9月8日 - 1942年9月13日) - 再び挿絵が描かれた戦時レポートに。 フクチャンかへる(1942年9月15日 - 1942年9月20日) - ジャバから日本へ帰るフクちゃんを描いた4コマ。 フクチャン(1942年9月22日 - 1943年12月31日) - 朝刊連載。再びフクちゃんを主役に据えた通常の4コマに戻る。 フクチャン大東亜コドモカイギ(1944年1月1日 - 1944年1月2日) - 2日間掲載の短編漫画。大東亜共栄圏下の子供達が会議する。日本代表はフクちゃん。 フクチャンレンセイノ巻(1944年1月4日 - 1944年1月29日) - フクちゃん達も練成を行うことに。1月18日までは朝刊に、1月19日より夕刊に掲載された。最終回は戦闘機に乗り、そのまま下記「ソラノ巻」に改題された。 フクチャンソラノ巻(1944年1月31日 - 1944年3月4日) - 夕刊連載。戦闘機に乗ったフクちゃんの活躍を描く。「疎開」する名目で打ち切られた。 防衛新聞(1945年4月18日 - 1945年5月8日 以降不明)防衛フクチャン 共同通信配信(1946年 - 1947年)フクちゃん - 『夕刊とうほく』ほか、全国16紙に掲載。 面白倶楽部(1948年、1950年)フクチャン活躍 → フクちゃん 天馬(1949年)タイトルは「フクチャンの野球」「フクチャンの拳闘」など、その都度変わった。 サンデー毎日(1950年9月 - 1951年9月)デンスケ★フクちゃん - 横山作の『デンスケ』と共演させた作品。 毎日新聞(1956年1月1日 - 1971年5月31日)フクちゃん - 朝刊連載。全5543回。最終回を描いたペンは長谷川町子に贈られた。 たのしい一年生(1956年9月号 - 1958年12月号)フクちゃん
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