捜査妨害・もみ消し
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 07:52 UTC 版)
「ウォーターゲート事件」の記事における「捜査妨害・もみ消し」の解説
事件が起こった1972年6月17日の2日後の6月19日夕方に、大統領再選委員会委員長ジョン・N・ミッチェル(前司法長官)、副委員長ジェブ・スチュアート・マグルーダー、同じ再選委員会メンバーのフレデリック・C・ラルー、ロバート・マーディアン、そして大統領法律顧問ジョン・ディーンの5人が集まり、どのように事件の後始末をつけるかについて協議した。事件をリディの一存でやったことにしようという話で終わったが、資金20万ドルの出所を知られたらどうするかが懸念された。この会合が事件のもみ消し工作の最初であった。またマグルーダーは事件が公になった17日に再選委員会事務局から2冊のファイルをいったん2人の事務局員に自宅に持って帰らせて、週明けのこの日に受け取って直ちに裁断機で処分した。このファイルは盗聴作戦の計画に関する克明なメモであり、ウォーターゲート事件の重要な証拠物件であった。 これより前の19日午後、ディーンは行政府ビルのハントの部屋から金庫を上の階の倉庫に移していた。この時、侵入犯の手帳にコルソンやハントの名前とホワイトハウスを窺わせる文字が見つかり、ホワイトハウスがコルソンとハントは無関係と躍起になって否定していた。翌20日にディーンは自室で1人でこの金庫を開けて中身を調べ、機密を要する書類と盗聴マイクから送られてくる会話を受信する装置を取り出して、差障りのないものだけを段ボール箱に入れて27日に訪ねてきたFBIの捜査官に手渡している。この時ディーンがハントの金庫から持ち去った機密書類の中には、ペンタゴン・ペーパーズを漏洩したダニエル・エルズバーグが通っていた精神科医ルイス・J・フィールディングのオフィスへ不法侵入して複写した書類や、ケネディ大統領と南ベトナムのゴ・ディン・ジエム大統領の死を結び付ける秘密電報(ハントが偽造したもの)があり、ディーンもさすがに驚いてジョン・アーリックマン大統領補佐官に報告して、2人で相談をした。そして6月28日にグレイFBI長官代行に渡して処分を依頼して、グレイはこの微妙な書類を自らの手で処分している。この一件は翌年春にウォーターゲート事件が全米を震撼させた頃に明らかとなり、その結果グレイは次期FBI長官と見られていたが辞職に追い込まれている。このハントに関する資料がFBIに手渡されたことを6月30日の新聞で知ってハントは、雲隠れをしていても逃れられないと観念したと言われている。 このように民主党本部への盗聴の不正工作は、ゴードン・リディとハワード・ハントを中心としてニクソン大統領再選委員会職員が主導していたのである。 事件から6日後の6月23日、ジョン・アーリックマン内政担当大統領補佐官とハリー・ロビンス・ハルデマン大統領首席補佐官は、ホワイトハウスの事務室にリチャード・ヘルムズCIA長官とバーノン・A・ウォルターズCIA副長官の2人を呼んだ(あるいは呼びつけた)。まずCIAがこの事件に関与しているかどうか、問い質すとヘルムズ長官は「全くありません」と返答した。それからハルデマンは「これは大統領の希望だが(※後に大統領の希望とは言わなかったと補佐官は証言している)、パトリック・グレイFBI長官代行の所に行って、君の方からこれで十分でないのか。これ以上の捜査は得策でない。特にメキシコへの捜査は…」と言って「CIA側からFBIにこれ以上の捜査をしてくれるな、と言ってほしい」と要請した(あるいは要求した)。これはメキシコでの盗聴工作の秘密資金の流れを隠すことが本当の目的で、表向きはメキシコでの捜査はCIA工作の暴露につながることを理由にしてCIAからFBIに直接働きかけをしてくれとの話であった。 同日ウォルターズCIA副長官はグレイFBI長官代行の所へ行って、「捜査が国境の南に及べば我々の秘密活動の一部に触れるかも知れない。この辺で打ち切るのが最善ではないか」とグレイに述べて「検討する」との返事を引き出している。3日後の6月26日、大統領法律顧問ディーンからの電話による呼び出しを受けてウォルターズが出向いたところ、「CIAから彼らの保釈金を、そうしてもしも刑務所に行くことになれば刑期中の給料を払ってやるというわけにはいくまいか」との打診を受ける。ウォルターズは「本件にはCIAは関与していない。CIAは政治と無関係だからこそ価値があるのであって、もしも保釈金や給料を払えば今のスキャンダルは10倍も大きくなる。CIAが政治に巻き込まれたことは今まで一度もない。CIAの信用が全く失われてしまう」と突っぱねた。その2日後、再びディーンに呼ばれて「グレイとの話し合いは君の仕事だ」とウォルターズは命じられている。それに対してウォルターズは「政治的危険が大きい。あまりジタバタしないようお薦めする。」とやんわり拒否している。ディーンは、CIAの秘密活動を妨げるとしてFBIの捜査を打ち切らせる、そしてCIAの仕事だったと言ってしまえば「国家安全保障」を理由に事件への追及をもみ消せる、という一石二鳥を狙ったのであるが、結局FBIもCIAも従わなかった。 この翌年、上院特別調査委員会でこの1972年6月23日の動きについて大統領法律顧問ディーン、大統領首席補佐官ハルデマン、大統領補佐官アーリックマンとも厳しい追及を受けることとなった。その後に大統領執務室の全ての会話が秘密裏に録音されていることが明るみに出てから、この時の会話を録音したテープの提出をめぐって大統領側と議会・司法の間で攻防が展開されることになる。 事件発覚後のもみ消し工作は6日後からホワイトハウスが動きだしていたが、盗聴のために民主党本部に侵入する工作についてジョン・N・ミッチェル元司法長官、ハルデマン首席補佐官、チャールズ・W・コルソン特別補佐官およびアーリックマン補佐官がどれほど深く関与したのかはいまだに論争の対象である。ミッチェルは当時大統領再選委員会の責任者であり、選挙運動本部長だったジェブ・スチュアート・マグルーダーやフレデリック・C・ラルーと共に(ハントとリディの侵入を含む)スパイ活動計画を承認してはいるものの、それが彼らの上からの指示であったかどうかは明らかではない。
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