捜査及び裁判とは? わかりやすく解説

捜査及び裁判

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/15 02:46 UTC 版)

千円札裁判」の記事における「捜査及び裁判」の解説

赤瀬川印刷千円札司直知れたのは、以下の経緯よる。平岡正明宮原安春らの「犯罪者同盟」が1963年8月刊行した書籍赤い風船あるいは牝の夜』が猥褻図書疑い押収された。すると、その著書内に赤瀬川作品千円札聖徳太子拡大写真」も掲載されていた。その後警察宮原自宅捜索すると、「赤瀬川印刷千円札」が発見された。 そのため、赤瀬川1964年1月8日当時起きていた「史上最高の芸術的ニセ札」といわれていた「チ-37号事件」につながる容疑者として、警察取調べを受ける。だが、担当警察官からは「不起訴になるだろう」といわれた。 しかし、同年1月27日に、“自称前衛芸術家赤瀬川原平”が「チ37号事件」につながる悪質な容疑者であると、朝日新聞誇大に報道される。 翌1964年検察庁捜査再開し1965年11月に各印刷所社長2名とともに通貨及証券模造取締法違反問われ起訴され裁判となった。なお、検察側は赤瀬川を「思想的変質者」ととらえていた。 弁護人当時新左翼系の公安事件担当して次々無罪にしていた杉本正純に依頼また、特別弁護人弁護側証人には瀧口修造らの美術界重鎮名を連ね話題となった赤瀬川はあくまで、「千円札ニセモノではなく、「千円札模型」として作品製造したことを主張したまた、検察は「印刷所社長たちとの共謀」を主張したが、赤瀬川2人会ったともなくそのような事実はないと否定した。 また「千円札模型」が芸術だという理解がない裁判官向けてアピールするため、高松次郎中西夏之らが弁護人として「ハイレッド・センター」の活動について法廷説明し当時における「前衛芸術」の状況について説明したまた、他の関係者の「前衛芸術作品裁判所内で多数陳列され裁判所美術館化した。 「前衛芸術」とパロディ作品の意味法廷争われる裁判となり、美術史上に残る裁判となったまた、裁判が「紙幣紛らわしい物を作った」ことが問われていたため、関係者で「紙幣類似する物」を多数収集して法廷提示した。 さらに赤瀬川は、千円札少しずつ露出変えながら写真にとった一覧表作成し、「紛らわし検査表」と命名法廷提示して「どこからがマズイのか」を検察側に問いただしたが、回答はもらえなかった。 1967年6月東京地裁一審で、「言論表現の自由無制限にあるものではない」とされ、「懲役3月執行猶予1年、原銅版没収」の判決をうける。また印刷所社長2名も有罪となった(「伝達による共謀」という理由による)。なお、赤瀬川にとっては「原銅版没収」が一番のショックであった赤瀬川証人として関わった人たちにはお礼として、父親依頼して1枚ずつ巻紙に筆で礼文書いてもらい、「木の葉お札」を同封して一軒ずつ郵便受け配ってまわった同年7月赤瀬川のみ東京高裁控訴するが、1968年11月に「控訴棄却」される。そのためさらに、1969年1月最高裁判所上告するが、1970年4月に「上告拒否」され、有罪確定。 なおこの裁判の間、赤瀬川作品として「大日本円札本物)」などを制作した

※この「捜査及び裁判」の解説は、「千円札裁判」の解説の一部です。
「捜査及び裁判」を含む「千円札裁判」の記事については、「千円札裁判」の概要を参照ください。

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