捜査妨害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/18 15:48 UTC 版)
事件当時のジョヴァンニ・スパドリーニ政権のニーノ・アンドレアッタ財務大臣は、アンブロシアーノ銀行の破綻の責任を追及するために徹底的な調査を行おうとしたものの、マフィアとの関係が噂されたイタリア政界の実力者のアミントレ・ファンファーニ元首相(1982年12月にスパドリーニ政権を継いで再度首相となる)からの抵抗にあいその後まもなく失脚し、ファンファーニが失脚し政界中枢から姿を消す1990年代前半まで、イタリア政界の中枢から距離を置くことを余儀なくされた。 また、カルヴィが暗殺された翌年の1983年には、「アンブロシアーノ銀行の破綻の責任者である」として、バチカン銀行の総裁であったマルチンクス大司教に対してイタリア検察から逮捕状が出たが、その後バチカンという「外国籍」のマルチンクス大司教に対する逮捕状は無効とされ、その後もマルチンクス大司教に捜査の手は及ぶことなく、ヨハネ・パウロ2世の事実上の庇護下で1989年までバチカン銀行の総裁を務めた。
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