ボローニャ駅爆破テロ事件
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ボローニャ駅爆破テロ事件(ボローニャえきばくはテロじけん、イタリア語: Strage di Bologna)は、1980年8月2日朝にイタリアのボローニャにあるボローニャ中央駅で起きたテロ事件である。これにより85人が死亡、200人以上が負傷した。
- ^ “'95 Percent Sure' Station Blast Was Terror Bomb”. Associated Press. (1980年8月3日)
- ^ ボローニャ惨事は爆弾テロ 犠牲者に早大生 死者84、負傷188人 読売新聞 1980年8月4日夕刊1ページ
- ^ “Police search starts for Bologna bombers”. The Globe and Mail. (1980年8月5日)
- ^ “Neo-Fascists 'Prefer Massacre'”. Reuters. (1980年8月6日)
- ^ a b René Monzat, Enquêtes sur la droite extrême, Le Monde-éditions, 1992, p.89
- ^ "Bizarre complexities of bombing to unfold in Italian courtroom," St. Petersburg Times, March 1, 1987 (英語)
- ^ a b “Court issues sentences in Bologna train bombing”. United Press International. (1988年7月11日)
- ^ “One Of World's Most-Wanted Terrorists Arrested”. Associated Press. (1987年3月30日)
- ^ “Four Convicted Of Mass Murder In Italian Bombing That Killed 85”. Associated Press. (1988年7月11日)
- ^ “Appeals Court Throws Out Bologna Bombing Convictions”. Associated Press. (1990年7月19日)
- ^ “Bologna bomber's 30-year jail term confirmed”. Associated Press. (2007年4月11日)
- ^ Arrestato l'estremista nero Ciavardini per una rapina a mano armata, La Repubblica, October 10, 2006 (イタリア語)
- ^ Denuncian que Almirón también participó en la ultraderecha española, Telam Argentine news agency, January 6, 2007 (スペイン語)
- ^ Our World: The convenient war against the Jews, Jerusalem Post Jerusalem Post, Oct. 6, 2008
- ^ http://www.pflp.ps/english/?q=former-italian-prime-minister-fabricates-lies-agai, Popular Front for the Liberation of Palestine
- ^ 伊、終身刑8回でも釈放 85人殺害テロ実行犯 - 47NEWS 2009年8月6日
- ^ 市口桂子 (2010年9月21日). “8月2日 ボローニャの一番暑い日”. ボローニャ四方山話. 白水社. 2012年10月14日閲覧。
- 1 ボローニャ駅爆破テロ事件とは
- 2 ボローニャ駅爆破テロ事件の概要
- 3 その後
- 4 犠牲者と慰霊碑
- 5 関連項目
ボローニャ駅爆破事件
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「リーチオ・ジェッリ」の記事における「ボローニャ駅爆破事件」の解説
「ボローニャ駅爆破事件」も参照 1980年8月2日の朝に、ボローニャにあるボローニャ中央駅で爆弾テロ事件が発生し、これにより85人が死亡、200人以上が負傷した。当初この事件は事故と思われていたものの、その後の調査で捜査員が爆心地近くで金属片とプラスチック片を発見したことにより、テロ事件と断定され捜査が開始された。 その後捜査当局はネオファシズム組織の「武装革命中核」(Nuclei Armati Rivoluzionari)がテロの実行犯と断定し、さらに「ロッジP2」のメンバーで、イタリア軍安全情報局(SISMI)のナンバー2のピエルト・ムスメキ将軍が、ジェッリの事件への関与の嫌疑をそらし、さらに他の極右組織のメンバーに嫌疑をかけるための偽装工作を行ったとして逮捕された。 その後行われた裁判でジェッリとムスメキ将軍は捜査妨害などの罪で有罪判決を受けた。なお、事件の動機は判明していないが、爆破テロを行い多くの市民を殺害し、その罪を共産主義者になすりつけることで、共産主義者による脅威と、当時のフランチェスコ・コッシガ政権の極左対策への無策をアピールし、世論を極右政党に対し有利な方向に誘導することが目的であったのではないかと言われている。
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ボローニャ駅爆破事件
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1980年8月2日の朝に、ボローニャにあるボローニャ中央駅で爆弾テロ事件が発生し、駅舎と駅構内に停車していた客車が破壊され、これにより外国人を含む85人が死亡、200人以上が負傷した。当初この事件は鉄道事故と思われていたものの、事件後の捜査で捜査員が爆心地近くで金属片とプラスチック片を発見したことにより、テロ事件と断定され捜査が開始された。 事件後にはローマ、ジェノバ、ミラノのマスコミに、極左テロ組織の「赤い旅団」と、ネオファシズム組織の「武装革命中核」(Nuclei Armati Rivoluzionari/NAR)が犯行を名乗り出たが、 その後武装革命中核は「事件とは無関係で、犯行声明はでっち上げである」という声明を3日夜発表した。 しかしその後捜査当局は武装革命中核がテロの実行犯と断定し、さらに「ロッジP2」のメンバーで、イタリア軍安全情報局(SISMI)のナンバー2のピエルト・ムスメキ将軍が、ジェッリ代表の事件への関与の嫌疑をそらし、さらに極右組織「Terza Posizione」のリーダー達に嫌疑をかけるための偽装工作を行ったとして逮捕された。その後行われた裁判で、ジェッリとムスメキ将軍は捜査妨害などの罪で有罪判決を受けた。 なお、事件の動機は詳しくは判明していないが、爆破テロを行い多くの市民を殺害しその罪を共産主義者になすりつけることで、これまでの暴力的革命路線を放棄したことで無党派や中道層を取り込むなど、当時イタリア国内で勢力を拡大していたイタリア共産党をはじめとする左翼勢力による脅威と、イタリア共産党との協力路線である「歴史的妥協」をすすめ、その結果左翼勢力の勢力拡大を招いたキリスト教民主主義のフランチェスコ・コッシガ政権の極左対策への無策をアピールし、世論を極右政党に対し有利な方向に誘導することが目的であったのではないかと言われている。
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