抜本塞源とは? わかりやすく解説

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ばっぽん‐そくげん【抜本塞源】

読み方:ばっぽんそくげん

《「春秋左伝昭公九年から》木を根本から引き抜き水の流れ水源を塞(ふさ)いで止めること。根本原因取り除いて弊害が再び起こらないようにすること。「—の大改革を必要とする」


抜本塞源

出典:『Wiktionary』 (2021/08/11 11:12 UTC 版)

成句

   ばっぽんそくげん

  1. 大元原因除去すること。物事根源さかのぼって処置すること。また、禍根を断つこと。「抜本」は「木を根本から引き抜く」、「塞源」は「水源を塞ぐ」の意。

発音(?)

ばっ↗ぽんそくげん

出典

『春秋左氏伝』昭公9年

白文
周甘人與晉閻嘉爭閻田。晉丙・張趯率陰戎伐潁。王使詹桓伯辭於晉曰、「我自夏以后稷、魏・駘・芮・岐・畢、吾西土也。及武王克商、姑・商奄、吾東土也。巴・濮・・鄧、吾南土也肅慎・燕・亳、吾北土也。吾、何邇封之有。文・武・成・康之建母弟、以屏周、亦其廢隊是為。豈如弁髦而因以敝之。先王檮杌四裔、以禦魅。故允姓之姦、居于瓜州伯父惠公歸自秦而誘以來、使偪我諸姬、入我郊甸。則戎焉取之。戎有中國。誰之咎也。后稷封殖天下、今戎制之。不亦難乎。伯父圖之。我在伯父、猶衣服之有冠冕、木有本原、民人之有謀主也。伯父若裂冠毀冕、拔本塞原、專棄謀主、雖戎狄其何有余一人」。
叔向宣子曰、「文之伯也、豈能改物。翼戴天子、而加之以共。自文以來、世有衰德而暴滅宗周、以宣示其侈。諸侯之貳、不亦宜乎。且王辭直。子其圖之」。宣子說。王有姻喪。使趙成如周弔、且致閻田與襚、反潁俘。王亦使賓滑執甘大夫襄以說於晉。晉人禮而歸之。
訓読文
周のかんひと、晋の閻嘉と閻のでんを争ふ。晋の丙・張趯、陰戎を率ゐてえいを伐つ。王、詹桓伯せんくゎんはくをして晋に辞せしめて曰く、「我、夏の后稷を以てせしより、魏・たいぜい・岐・畢は、西土なり。武王の商につに及びて、姑・商奄は、吾が東土なり。巴・濮・・鄧は、吾が南土なり。粛慎・燕・亳は、吾が北土なり。吾、何の邇封か之有らむ。文・武・成・康の、母弟を建てて以て周に屏とせしも、また廃隊はいついたすけむとす。弁髦べんばう如くにして因りて以てこれてむや。先王檮杌四裔きて、以て魑魅ふせがしむ。故に允姓の姦は、瓜州居りしも、伯父はくふ恵公、秦より帰りて、誘ひて以て来たり、我が諸姫にせまり、我が郊甸かうてんらしむ。すなはち戎いづくんぞ之を取らむ。戎の中国たもちしは、たれとがぞや。后稷天下を封殖せしに、今、戎之を制す。亦かたからずや。伯父之をはかれ。我の伯父在るは、衣服冠冕有り、木水の本原有り、民人の謀主有るがごときなり。伯父はくふ裂きべんやぶり、本を抜きみなもと塞ぎ専ら謀主てば、戎狄いへど何ぞ一人いちにん有らむや」と。
叔向宣子ひて曰く、「文のはくたるや、豈にく物を改めむや。天子を翼戴して、之に加ふるにきょうを以てせり。文より以来世々衰徳有りて、宗周を暴滅して以て其のを宣示せり。諸侯あるは、亦うべならずや。つ王のなり。子、其れ之を図れ」と。宣子よろこぶ。王にいん有り趙成てうせいをして周にきて弔ひ、且つ閻の田とすいとを致し、潁の俘をかへしむ。王も亦賓滑ひんくゎつをして甘の大夫襄をとらへて、以て晋にかしむ。晋ひとして之をかへす。
現代語訳
周のかんゆう[1]の人(大夫の襄)が、(甘邑の付近に位置する)晋の閻県の大夫の嘉と、閻の耕地巡って争った。すると、晋のりょうへい張趯ちょうてきは、陰戎いんじゅう[2]率いて(周の領土である)潁邑を討伐した。周王[3]詹桓伯せんかんはく命じて、晋に対して次のように訴えさせた。「我が周が、夏の時代后稷功績により封土を賜って以来、魏[4]たい[5]ぜい[6]・岐[7]・畢[8]は、我が西部領土となった武王が商に勝利して以来ほこ[9]商奄しょうえん[10]は、我が東部領土となった。巴[11]・濮[12][13]・鄧[14]は、我が南部領土となった粛慎[15]・燕[16]・亳[17]は、我が北部領土となった我が周に、何の近い国境などあろうか(我が周の領土は、今や遥か遠くにまで及んでいる)。文王武王成王康王が、同母弟らを諸侯立てて周を守る垣としたのも、周が衰微することがあれば救わせようとしたものであった弁髦べんぼう[18]のように、(用済みになったら)周を捨てるなということがあってよいものか。先王は、檮杌とうこつ[19](を始めとする蛮族)を四方国境地帯に置き、魔物を防がせた。以来、(これら蛮族の子孫である)允姓のならず者ども(=戎)は(辺境の)瓜州かしゅう[20]居住していたのだが、我が伯父[21]である晋の恵公が秦から帰国する[22]誘って連れて来た。そして我々姫姓の諸国近付かせ、我が周の都の近くにまで入り込ませた。(恵公連れてなかったら)戎はどうして中国の地を得ることなどできたであろうか。戎が中国の地を領有したのは、誰のせいであろうか。(かつて、我が先祖である)后稷天下耕作教えたが、今や戎がその天下我が物顔居座っている。何と困難な状況であろうか。伯父上には、このことをよくお考え頂きたい。私と伯父との関係は、いわば衣服冠冕かんべん[23]があり、木に根があり、に源があり、人民長老あるようなものである。(我が周王室と親しくあるべき伯父上がもし冠冕破り捨て木の根抜き、源を塞ぎひたすら長老放逐(するように、晋の大本たる周を蔑ろに)すれば、(野蛮な)戎や狄までもが天子である私を蔑ろにするであろう」。
(これを聞いた晋の)叔向宣子韓起)に言った、「文公覇者であった頃には、周の掟を改めることなどあったであろうか。天子奉戴し、恭順の念をもって支えてきたではないか。(ところが、)文公後の時代になると、代を追うごとに君主の徳は衰え本家たる周を蔑ろにして、自国傲慢ぶりを天下見せ付けてきた。諸侯が晋に背くのも、何ともっともなことではないか。しかも、周王お言葉正論である。どうかよろしく取り計らって頂きたい」。(これを聞いた宣子喜んだ。ちょうど周王には姻戚の喪があったので、(中軍副将である)趙成を周に派遣して弔問させると共に、閻の耕地すい死者に贈る衣服)とを献上させ、また潁邑を討伐した際の捕虜を返させた。周王また、大夫の)賓滑ひんかつ命じて甘邑の大夫の襄を捕らえさせ、(事件の責任者として)晋に弁解させた。晋の人は、賓滑を礼遇して帰した


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