手紙の登場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/30 00:34 UTC 版)
文字が発明されてからの通信の多くは手紙という方式で行われるようになった。たとえばメソポタミアでは粘土板に楔形文字で、古代エジプトではパピルスにヒエラティックやデモティックやコプト文字で、古代ローマではエジプトから輸入したパピルスあるいは代用品の動物の革にローマン・アルファベット(英語版)で、古代中国では木簡や竹簡に漢字で、手紙が書かれた。文字を持たなかったインカ帝国では紐の結び目(キープ)を用いた表現が高度化しそれで手紙が書かれた。 メソポタミアの粘土板の手紙 紀元前3000年以前に粘土版に楔形文字が書かれるようになっており、メソポタミアつまり現代のイラクあたりでさかんに用いられていたのであり、粘土板は近年、数十万個規模で大量に発掘されているわけだが、この楔形文字が理解される圏域では粘土板での手紙のやり取りが広くなされるようになっていた。王族などから一般人たちまで広く手紙のやりとりをした。たとえば王族が遠隔地にいる部下・臣下にメッセージ、命令などを伝える場合は、粘土板に書かれた手紙を自分の部下に持たせて宛先の人物に直接届けさせればよかった。一般人の場合でも、いくつかやり方はあったが、たとえば二つの場所の近辺を行き来する旅の商人などを見つけて手紙を託し、手渡すことができ返事も受け取って帰ってきた場合の報酬などを決めておき、宛先の人物の名前や居所などを伝える、というやり方で行えた。無事に手紙を相手に届け、返事も受け取って戻って来たら依頼者は約束のお金を払えばよかった。一般人が行っていた日常の手紙のやりとりの雰囲気が判る例を挙げると、たとえば発掘後に大英博物館に展示されている粘土板のひとつを解読してみたところ、その内容は、ナンニという人から貿易商のEA-ナシルという人に宛てた手紙で、概略としては「あんたから買った銅のインゴットは品質が悪すぎる! 一体どういうことだ! 払った金を返金してくれ!」という内容のもので、つまり顧客から商人に対するクレームの手紙だったという。つまり現代人が手紙やe-mailで日常的にしているようなやりとりとさほど違いが無いような、日常感が溢れる内容の通信が行われていたことが分かる。 ちなみに粘土板に書かれたメッセージは、さらに粘土の「封筒」で覆い封印し秘匿性を高めること、つまり運ぶ途中で宛名人以外に読まれることを防止したり、万が一 途中で開封され読まれたら読まれたと分かるようにすること、もできた。 @media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .mod-gallery{width:100%!important}}.mw-parser-output .mod-gallery{display:table}.mw-parser-output .mod-gallery-default{background:transparent;margin-top:.3em}.mw-parser-output .mod-gallery-center{margin-left:auto;margin-right:auto}.mw-parser-output .mod-gallery-left{float:left;margin-right:1em}.mw-parser-output .mod-gallery-right{float:right}.mw-parser-output .mod-gallery-none{float:none}.mw-parser-output .mod-gallery-collapsible{width:100%}.mw-parser-output .mod-gallery .title,.mw-parser-output .mod-gallery .main,.mw-parser-output .mod-gallery .footer{display:table-row}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div{display:table-cell;text-align:center;font-weight:bold}.mw-parser-output .mod-gallery .main>div{display:table-cell}.mw-parser-output .mod-gallery .gallery{line-height:1.35em}.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div{display:table-cell;text-align:right;font-size:80%;line-height:1em}.mw-parser-output .mod-gallery .title>div *,.mw-parser-output .mod-gallery .footer>div *{overflow:visible}.mw-parser-output .mod-gallery .gallerybox img{background:none!important}.mw-parser-output .mod-gallery .bordered-images .thumb img{outline:solid #eaecf0 1px;border:none}.mw-parser-output .mod-gallery .whitebg .thumb{background:#fff!important} 粘土板に楔形文字で書かれた私的な手紙の一例(紀元前17世紀~紀元前16世紀ころのもの). 粘土板に書かれた私的な手紙(書かれた内容から紀元前1632年ころのものと推定されている) パピルスにヒエラティック(神官文字)で書かれた手紙(古代エジプト第18王朝、紀元前1479年~1458年のもの) パピルスに古代ギリシア語で書かれた手紙(紀元前3世紀ころのもの) 秦朝(紀元前221年~206年)時代の、竹簡に書かれた手紙 インカ帝国の通信システム インカ帝国というのは南北の長さがおよそ5,000kmにも達した広大な帝国であったが、全長5万kmにおよぶインカ道が整備されていて、情報を迅速に首都のクスコに届けるためのシステムとして、インカ道に5kmの間隔で道沿いに駅が設けられ、「チャスキ」と呼ばれる公設の飛脚の制度も設けられ、各駅に常時2名の飛脚が駐在していた。文字を持たないインカ帝国では「キープ」と呼ばれる紐の束が情報の表現に使われていたわけだが、このキープを次から次へとリレーして引き渡してゆくことで情報を伝えており、その速度は時速20kmほどに達したとも言われている。このシステムを用いてインカ帝国の王や各地の責任者は互いに通信することができた。
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