戦後の地政学批判と地政学史研究
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「地政学」の記事における「戦後の地政学批判と地政学史研究」の解説
敗戦直後、小牧や江沢ら国内の地政学者の多くは公職追放処分にあった。しかし、追放解除後には多くが学界に復帰し、戦後においても影響力を持ち続けた。このことは、国内において地政学がタブー視され、地政学に対する学問的検討や批判すらはばかられる原因となった。この時期の地政学批判は、飯塚浩二によって行われた。飯塚は1947年に『地政学批判』を上梓し、地政学がロマン主義に彩られた国家有機体説と地理的決定論の形骸にほかならず、「主観的・希望的判断への誘惑から自己を守るために十分に武装していなかった」と述べた。さらに、飯塚は、ハウスホーファーの自殺について「少くともこの『使徒』の生涯にあっては、ゲオポリティクが、その亜流に於けるが如くに、処世のポリティクではなかったことの証拠とみたい」と記述し、「非常時意識の下に我が国で行われた精神乃至思想動員の全過程が、ナチ独逸に於ける如く真理の客観性への挑戦というような苛烈な形にまで突き詰められるどころか、極めて妥協的に『日本古来』の価値体系の強調という単純な線に沿って益々と進められた事実、所謂東亜新秩序の理念として提唱されたところの『八紘一宇』の教義が、家族主義或いは家族国家の理念をそのまま空間的に推しひろげたものに過ぎず、その神話的内容をついに近代の科学用語によって世界に向かって説明することが出来ぬような性質乃至は段階のものとして終わったという事実」についても批判した。 戦前日本の地政学の本格的再検討は、1970年代後半に始まった。この契機になったのは、当時の経済地理学に対して、マルクス主義地理学(英語版)の観点から、方法論の一部に地政学に類する概念が復活しているという批判がなされたことである。竹内啓一は「現代的課題として地政学批判を展開するためには、事実の確定と前提作業が必要である」として日本地政学史の研究の嚆矢を放ち、これに触発される形で戦前・戦中における地政学の実態の解明が進んだ。1990年代に入ると冷戦終結によるイデオロギーからの解放、大半の地政学者の逝去、一部の地政学者の回顧録の出版やインタビューへの応答、戦前資料の発見などにより戦前地政学のニュートラルな視点からの再検討がはじまった。たとえば、福嶋依子は、1970年代の研究が同時代の地理学批判に急なあまり、学説それ自体の研究がおろそかになっているという問題意識から、江沢譲爾の学説を再検討した。2020年現在において、戦前地政学史研究は、単に当時の学説の妥当性や、侵略戦争への加担を批判するだけではなく、そうした言説が生産され、支持されるに至った背景と、その社会的な影響を同時代的な視点から解明しようとしている。
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