戦後の国体を巡る議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 14:34 UTC 版)
戦後は民主主義の呼び声とともに国体の神話性が公然と議論される。これにより国体という語は過去の言葉になる。 帝国議会の憲法改正審議において、国体について吉田茂首相は次のように答弁する。 御誓文の精神、それが日本国の国体であります。〔…〕日本国は民主主義であり、デモクラシーそのものであり、あえて君権政治とか、あるいは圧制政治の国体でなかったことは明瞭であります。〔…〕日本においては他国におけるがごとき暴虐なる政治とか、あるいは民意を無視した政治の行われたことはないのであります。民の心を心とせられることが日本の国体であります。故に民主政治は新憲法によって初めて創立せられたのではなくして、従来国そのものにあつた事柄を単に再び違った文字で表したに過ぎないものであります。 また、金森徳次郎憲法担当国務大臣の次のように答弁する。 日本の国体というものは先にも申しましたように、いわば憧れの中心として、天皇を基本としつつ国民が統合をしておるという所に根底があると考えます。その点におきまして毫末も国体は変らないのであります。〔…〕稍々近き過去の日本の学術界の議論等におきましては、その時その時の情勢において現われておる或る原理を、直ちに国体の根本原理として論議しておった嫌いがあるのであります。私はその所に重きを置かないのであります。いわばそういうものは政体的な原理であると考えて居ります。根本におきまして我々の持っておる国体は毫も変らないのであって、例えば水は流れても川は流れないのである。 1946年(昭和21年)5月19日の食糧メーデーにおいて、日本共産党員の松島松太郎は「ヒロヒト 詔書 曰ク 國体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」(表面)、「働いても 働いても 何故私達は飢えねばならぬか 天皇ヒロヒト答えて呉れ 日本共産党田中精機細胞」(裏面)のプラカードを掲げて不敬罪に問われている(プラカード事件)。尤も、不敬罪適用は不適法であるとされ名誉毀損罪で起訴、日本国憲法公布による大赦で免訴された。 国旗国歌法案の国会審議において、国歌の君が代の意味を質された政府は「国歌・君が代の『君』は日本国及び日本国民統合の象徴であり、その地位が主権の存する日本国民の総意に基づく天皇のことを指しており、君が代とは、日本国民の総意に基づき、天皇を日本国及び日本国民統合の象徴とする我が国のことであり、君が代の歌詞も、そうした我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解することが適当である」と答弁する。 2000年(平成12年)5月15日、内閣総理大臣森喜朗が「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知して戴く、その為に我々神政連議員が頑張って来た」と発言し、問題になる。いわゆる神の国発言である。 2004年に、日本共産党は綱領を改定した。その中では天皇制について「一人の個人が世襲で「国民統合」の象徴となるという現制度は、民主主義および人間の平等の原則と両立するものではなく、国民主権の原則の首尾一貫した展開のためには、民主共和制の政治体制の実現をはかるべきだとの立場に立つ。天皇の制度は憲法上の制度であり、その存廃は、将来、情勢が熟したときに、国民の総意によって解決されるべきものである」という方針をうちだしている。
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