戦後の図書館建設とは? わかりやすく解説

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戦後の図書館建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 02:11 UTC 版)

浜松市立中央図書館」の記事における「戦後の図書館建設」の解説

軍都であった浜松市1944年昭和19年)に187433人の人口有していたが、浜松空襲後には相次ぐ疎開などで81437人にまで激減した。しかし1946年には旧海軍経理学校蔵書300冊を譲り受け浜松市役所教育課内に図書館仮設して図書館活動再開したこの際には教育課長が図書館長を代行している。1946年4月1日時点蔵書数はわずか342冊だった。戦後には連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)から戦争関連図書没収命令受けて浜松市立図書館は『日本精神史稿』(河合弘道島方泰助共著、昭社、1943年)と『皇道哲学』(佐藤通次著、朝倉書店1943年)の2冊を西遠地方事務所提出している。1948年蔵書数は2,135冊であり、貸出部内者のみだった。 1947年昭和22年)に浜松市長に就任した坂田啓造在任時には市営住宅小中学校14校、浜松市営球場1948年)、浜松市プール1950年)、浜松市立図書館1950年)などが建設され1950年昭和25年)には浜松こども博覧会開催されている。1948年から図書館再建に向けた動きがみられ、1949年度予算図書館建設決定した1950年4月からは浜松ユネスコ協力会が中心となって献本活動が行われ、3,381冊の図書、1,068冊の雑誌196,876円の現金集まった谷口吉郎師事した栗原勝当時浜松市役所建築職員であり後の浜松市長)が建物設計手掛け小出組が施行担当して、かつて明石別荘があった浜松城出丸跡(松城町16番地)に建設された。設計時にはまだ図書館法成立していなかったため、戦災焼失免れた図書館視察したり、市内文化人意見聴いたりして設計行っている。図書館からは浜松市街地見下ろせ富士山遠州灘眺めることもできた。

※この「戦後の図書館建設」の解説は、「浜松市立中央図書館」の解説の一部です。
「戦後の図書館建設」を含む「浜松市立中央図書館」の記事については、「浜松市立中央図書館」の概要を参照ください。

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