戦後の同和対策事業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 09:24 UTC 版)
詳細は「同和対策事業」を参照 戦後について記述する。1951年(昭和26年)、在日朝鮮人の生活を扱った小説「特殊部落」を京都市九条保健所職員が杉山清一の筆名で雑誌『オール・ロマンス』に発表し、問題となった(オールロマンス事件)。 設定上の舞台である「特殊部落」は京都市内に実在する被差別部落であるが、登場するのは全員が在日朝鮮人、その「特殊部落」に居住していれば「部落者」と呼ばれ差別されるが、その地域から住民異動すればそれは解消されるという、地域の実情や差別の様態とは懸け離れた内容で、地域の住民たちは事実を歪めて興味本位に書いた差別小説として京都市に対して抗議を行った。 京都市役所内部に形成されていた左翼グループはこの問題を部落に対する行政上の措置の不十分さから起きた事件として扱うよう図り、水平社運動と融和運動の活動家が大同団結して結成された部落解放全国委員会京都府連は彼らと連携して、「小説は京都市が放置してきた被差別部落の実態を反映したものだ」として行政を批判した。 翌年、京都市は前年比5.8倍の同和問題対策予算を計上し、被差別部落のインフラの改善を積極的に推進した。 オールロマンス事件以降、所謂「行政闘争」が活発化する。
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