戦後の和解と来日
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 23:06 UTC 版)
イタリア共和国からは1958年5月に女王の招きでジョヴァンニ・グロンキ大統領が訪英、1961年に女王がローマを答礼訪問して関係が回復した。ドイツ連邦共和国(西独)からは1958年10月にテオドール・ホイス大統領が訪英したものの、英国民感情への配慮から答礼訪問は1965年となった。 日本とは、女王の従妹であるアレクサンドラ王女が訪日し、日本側は王女を国賓待遇で歓待した。これを機に日英の親善外交が活発化し、秩父宮妃勢津子の訪英による女王への大勲位菊花章頸飾・同大綬章の贈呈、マーガレット王女の訪日が行われた。英国経済が低迷する中、高度経済成長期にある日本との交流を深める必要性もあった。そして1971年5月、昭和天皇・香淳皇后夫妻の訪英を含むヨーロッパ訪問に先立ち、ガーター騎士団の一員でありながら大戦中にその資格を剥奪された昭和天皇の旗(菊花紋章旗)が再び掲揚され、同年10月の訪英時に天皇はガーター勲章を、女王は大勲位菊花大綬章をそれぞれ佩用し和解を強く印象付けた。 1975年、旧交戦国最後の訪問地として1度のみ、フィリップ王配と夫妻で訪日している(5月7日-12日)。5月7日夜に昭和天皇主催の皇居での宮中晩餐会に出席し、8日にはNHK(日本放送協会)を訪問、大河ドラマ「元禄太平記」の収録を見学した。9日には都心でパレードをして東京都民の歓迎に応えた。女王はこの後、京都御所や伊勢神宮を訪問し、12日に離日した。日本訪問の際、エリザべス2世は、昭和天皇から立憲君主のあり方について教示を受け、強い印象を受けたとされる。 1961年、訪伊時、グロンキ伊大統領らと 1965年、西ベルリン訪問時 1966年6月、訪英したケネディ米大統領夫妻と女王夫妻
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