戦後の図書館機構の再編
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 16:41 UTC 版)
「東京都立図書館」の記事における「戦後の図書館機構の再編」の解説
1945年(昭和20年)8月15日、玉音放送が行われ終戦を迎えたが、都立図書館は日比谷図書館の全焼をはじめほとんどの建物が罹災し、無傷に近かったのは京橋、駿河台、月島の3館のみであった。蔵書全体の6割に及ぶ図書が焼失し再開は困難を極め、月島も占領軍によって接収されたものの、終戦後休むことなく活動を続けていた京橋に続いて10月には駿河台が閲覧を再開、翌1946年(昭和21年)には4館が閲覧を再開、また多摩地域では小学校併設という形で立川と青梅に2館が開設された(開館は翌1947年(昭和22年))。都立図書館では海軍大学校の蔵書の受領などで蔵書の再建を進め、またGHQの意向もあって東京に大規模な中央図書館建設の構想が描かれたり、上野の旧帝国図書館の都への移管も提起されたりしたもののいずれも中途で挫折をみた。日比谷図書館の再開は遅れ1947年(昭和22年)にようやく木造の仮設館舎を着工、1949年(昭和24年)11月に再開したが、木造で耐火書庫を持たなかったため蔵書の多くは京橋図書館で保管されたままでの開館となった。 1947年(昭和22年)には東京都の35区が再編され、23の特別区が設置された。これにともない日比谷図書館以外の東京都区部の図書館をそれぞれの所在する区へ移管することが検討され、1950年(昭和25年)には日比谷図書館を除く区部の都立図書館はそれぞれの区へ移譲され、都立図書館は日比谷、立川、青梅の3館体制となった。日比谷図書館では駿河台、深川、京橋の主要3館に残された蔵書を日比谷に集中させ、蔵書体系を維持することを計画したが、達せられなかった。都の財産であるが暫定的に駿河台図書館に保管されていた内田嘉吉文庫も、そのまま千代田区立となった駿河台図書館に引き継がれている。1950年(昭和25年)には図書館法が制定され、制度としての中央図書館も廃止された。
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