戦後の動物たちとは? わかりやすく解説

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戦後の動物たち

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 00:44 UTC 版)

戦時猛獣処分」の記事における「戦後の動物たち」の解説

第二次世界大戦後1949年昭和24年)、上野動物園がある台東区の子供たち(台東区子供議会)からの「生きたゾウ見たい」という要望に対してインドの首相ジャワハルラール・ネルー応え同年9月インド政府から上野動物園メスアジアゾウ1頭が贈られた。このゾウは「インディラ」と命名されたが、ネルー首相の娘であり後に首相となるインディラ・ガンディー名祖であるとされるまた、同じ9月タイからもメスアジアゾウ1頭が贈られており、このゾウは、同国から戦前贈られ戦中殺処分されてしまった「花子」(ワンリー)に代わる二代目として「はな子」と命名された。なお、はな子1954年昭和29年)、誘致運動によって上野動物園から井の頭自然文化園移された。2016年5月26日 永眠。(別項実在した象の一覧」も参照のこと)。 また、1952年上野動物園飼育企画長の林寿郎により、カバキリンチーターブチハイエナなど48頭の動物ケニア動物商から購入され(その中のカラカル2頭は喧嘩死亡したが、その後寄港したマニラにてヒムネバト2羽が加わリ、動物は再び48になった)、名古屋港神戸港横浜港陸揚げされた。カバの「重吉」(東山動物園2001年没)、キリンの「タカオ」(上野動物園1980年没)などが有名(日本カバの約半数は「重吉の子孫である)。 第二次世界大戦後も、1950年朝鮮戦争勃発した際には日本への戦闘拡大危惧され動物園での対策検討されている。上野動物園では、1950年末から1951年1月にかけて『上野動物園非常事態計画』『非常事態打開計画資料』というマニュアルをまとめた。同園では、戦時猛獣処分再現空襲被害による動物死亡避けるため、伊豆大島への疎開を行う方針であった。なお、1951年5月から6月にかけてゾウの「はな子」とライオン1頭が伊豆大島へと派遣されているが、これは戦争とは無関係で、平時移動動物園巡業一環である。

※この「戦後の動物たち」の解説は、「戦時猛獣処分」の解説の一部です。
「戦後の動物たち」を含む「戦時猛獣処分」の記事については、「戦時猛獣処分」の概要を参照ください。

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