戦後の創業期とは? わかりやすく解説

戦後の創業期

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 23:02 UTC 版)

はとバス」の記事における「戦後の創業期」の解説

終戦後荒廃した東京遊覧バス再度運行するために、1946年3月27日に「日本観光株式会社」が設立された。しかし、市民関心終戦後混乱切迫した日常生活追われている状態で、既存バス事業者休止されていた路線再開することに専念している状態であり、監督官庁理解を得るには時期尚早という状態であった。それでも陳情続けた結果1948年には、東京都交通局より路線バス貸切バス事業車両6台の譲渡受けた。この時、東京都からは「多方面からの支援協力を得るためには、新会社設立することが望ましい」という方針示されたことから、東京都の元次長であった町村金五初代社長迎え1948年8月14日に「新日本観光株式会社」が設立され本社上野に、車庫中野設けられた(のちに文京区指ヶ谷にも設置)。創業時事業内容団体貸切バスのみで、1949年1月1日成田山新勝寺初詣バス運行したものが最初である。その後三浦半島箱根方面へも営業エリア拡大してゆくことになるが、代用燃料車両は性能が悪い上に信頼性低く故障頻発したという。 続いて同社本来の事業である定期観光バス運行開始急いだが、当初申請にある東京駅発・新宿駅発の1日遊覧コース計画は、当時燃料事情車両事情において計画通り運行は困難とみなされた。そこで、上野駅出発し上野公園御茶の水皇居国会議事堂帝国ホテル築地歌舞伎座日本橋浅草寺などを半日周遊し、下車観光地皇居前・赤坂離宮浅草公園上野公園の4箇所としたコース考案した当時燃料事情でも半日コース程度であれば問題ない判断されたことから、1949年3月1日付で認可取得し1949年3月19日より「東京半日Aコース」の運行開始した当初運賃250であった。「東京半日Aコース」は、その後発着地下車観光地変化はあるものの、2009年2月現在でも運行継続されている(皇居前広場下車)→浅草観音仲見世レインボーブリッジ通過)→お台場通過)→東京タワー展望)→国会前(通過))。 定期観光バス車両には、平和のシンボルとして描かれていたことから、役員会において「はとバス」の愛称決定し鳩マークの横に表示したまた、1950年3月には新たなシンボルマーク制定された(後述)。1950年代後半になると、世相落ち着いたことから観光需要急増した新日本観光でもディーゼルバス導入続け1953年にはリアエンジン式の大型バス導入するようになったまた、この頃から同社車両天窓装備するようになっている

※この「戦後の創業期」の解説は、「はとバス」の解説の一部です。
「戦後の創業期」を含む「はとバス」の記事については、「はとバス」の概要を参照ください。

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