戦後の埋め立てと開発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 18:09 UTC 版)
「仁保 (広島市)」の記事における「戦後の埋め立てと開発」の解説
戦後、猿猴川河口の埋め立てが再開され1963年には柞木沖合の公有水面の埋め立てが完成(現在の仁保沖町)マツダの工場が建設された。しかし同時に、埋め立てや工場建設などによる猿猴川の水質悪化で海苔・カキなどの養殖は次第に衰退に向かった。1966年9月1日には町名変更が実施、仁保町が多くの新町名に分割された際に現在の「仁保」「仁保沖町」が新設され、隣接する東雲町も新広島バイパス(現在の国道2号線)の南側となった地区が「仁保新町」として分離した。また現在の仁保一丁目と仁保新町二丁目・東雲三丁目の境界付近には猿猴川の入江が深く入り込んでいた(現在の広島銀行仁保支店前まで)が、この年までにほとんどが埋め立てられ(その一部が「淵崎公園」)、さらに12月7日には新広島バイパスおよび仁保橋が開通した。これらを契機に仁保地区では急速に宅地化が進行、蓮畑は次第に減少していき仁保地区は半農半漁の村から近郊住宅地に変貌していった。
※この「戦後の埋め立てと開発」の解説は、「仁保 (広島市)」の解説の一部です。
「戦後の埋め立てと開発」を含む「仁保 (広島市)」の記事については、「仁保 (広島市)」の概要を参照ください。
- 戦後の埋め立てと開発のページへのリンク