成立の起源とは? わかりやすく解説

成立の起源

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 17:23 UTC 版)

二十二社」の記事における「成立の起源」の解説

南北朝時代公家である北畠親房は、その著書二十一社記』のなかで二十二社成立について皇城鎮守神として二十二社定め置き、諸国までは遼遠なので臨時祈祷等は二十二社奉幣したのだと述べたその後江戸時代においても二十二社研究進められたが、二十二社選定尊崇具体考察が行われるのは近代入ってからである。大正時代発表された『神祇綱要掲載の「二十二社発生」では、二十二社制度起源次のように解説している。一般官社制度の外に立ち、朝眷に浴して卓越した位置居た神社があり、延喜年間以降万事先例古格により律せられる因襲的傾向著しくなると、その地位慣例化固定化たとする加えて地方中央の連絡が完全ではなかった当時遠隔の諸大社奉幣を行う余裕無かったことから、京を中心に付近国々限って祈年穀奉幣するなど待遇定まって行き最後白河天皇御代永保元年1081年)に、当時その地位にあった神社22か所が地位固定されて「二十二社」と呼ばれるようになったのだとしている。 昭和40年1965年)に発表された『摂関時代における神社行政二十二社成立主題として-』では、『神祇綱要』の「二十二社発生」をさらに補完詳述し、まず二十二社発生前段として、当時神祇行政について述べている。 律令制では、祈年祭などの祭事朝廷から奉幣をする神社が、『延喜式神名帳』などにより多数定められていたが、律令制衰退などにより次第少数特定の神社にのみ奉幣されるようになった。『摂関時代における神社行政二十二社成立主題として-』ではこの過程について、平安時代前半期では正史多数見られ官社撰定および神階奉授の記事平安時代後半に入ると激減し、恒祇や奉幣記事次第範囲狭め皇都周辺大社名社に限定されるようになって行った指摘し、さらに平安時代後半律令体制弛緩あいまって中央の神祇官一部の名社を重視し始めることに比例し地方国司の祠社の管掌もしだいに形式化疎略化する動向示した、と述べている。 同書では、律令体制弛緩証左として、『本朝文粋』の延喜14年914年4月28日上奏三善清行意見封事にある、神祇官幣帛受納参集した諸社祝部が、幣帛の絹や神酒神馬着服し一人幣帛本社捧げて祈請する者がいなかったとする記述。『日本紀略』の天暦2年948年11月22日の条にある、新嘗祭において諸卿の不参多く神事遅滞し記述。さらに、このような神事闕怠対す禁令がしばしば出されていることなどを挙げている。 さらに同書では、社殿造替神事厳修標榜する律令神祇行政再編成を行う一方で、既に神階極位達していた諸社皇親参詣臨時奉幣仰いだために、畿内周辺の名社を偏重する傾向進んで行った述べ、その遠因桓武天皇平安京遷都にあるのではないか推察している。すなわち、平安京遷都後、皇室祖神外戚神と仰がれ、有力氏族に奉斎され、民衆除災招福利益与える名社として特別の崇敬得た諸社が、京周辺にあって顕著な発展遂げたのだと、その理由推測した同書によると、これら幣帛を受ける名社が次第固定化されていく様子は、『日本紀略』を通覧した際に散見される、数社同時奉幣記事に見ることが出来るとしている。

※この「成立の起源」の解説は、「二十二社」の解説の一部です。
「成立の起源」を含む「二十二社」の記事については、「二十二社」の概要を参照ください。

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