成立の背景と価値
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 08:17 UTC 版)
武士の理想像を述べており、倫理的思想を説き社会の指導者のあるべき姿を示している。戦乱に明け暮れた時代に書かれたが、それを超越し普遍的な人間の理想をも説いている。本書が平和かつ安定していた江戸期に広く教訓書として受け入れられたのも、安定した社会における政治の担い手の理想像を本書に見出しているからといわれる。 公家の文化にもこういった恥の概念、人の目を意識する価値観はあったのだろうが、公武権力の一体化が推進され、自分より高位の公家達がいる世界へ入って行く、室町時代の武士のほうが、人の目に対する緊張感が強かったのかもしれない。管領であった斯波義将が正四位下、右衛門督に叙任されたとき「武臣の右衛門督、未だ聞かざる事也」(『荒暦』)と噂になったという。伊勢貞親の家訓にも、人の目、他人の評判を気にする価値観がある。伊勢氏も足利将軍家の政所執事で政治的影響力は大きかったが、冠位、家格は低かった。
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