成立の逸話とは? わかりやすく解説

成立の逸話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/07 02:48 UTC 版)

アルス・マグナ (カルダーノの著書)」の記事における「成立の逸話」の解説

16世紀イタリアでは、代数方程式を解く、時に金銭賭けた数学競技流行していた。またその解法当時師弟関係の間で伝授される秘術であり、公開されることはなかった。 3次方程式解法では、シピオーネ・デル・フェッロ研究端緒開けたとされているが、彼は業績公表せず、弟子何人かに伝授して亡くなっていた。弟子1人であったアントニオ・マリア・フィオル(Antonio Maria Fior )は、師の解法使って数学競技連勝し富と名声得ていた。そこに、ニコロ・フォンタナ・タルタリアという人物独自に 3 次方程式解法みつけたという話を聞きつけた。1535年3 次方程式 x3 + ax = b (ただし a,b > 0) の数学競技でフィオルはタルタリア勝負挑んだもののフェッロの解法では勝てず、勝ったタルタリア一躍有名になった。彼はおそらく独学でこの解法発見していたが、彼も解法について公表しなかった。 1539年ミラノPiatti Foundation数学講義で、最初数学本『Pratica Arithmeticæ et mensurandi singularis』(英: The Practice of Arithmetic and Simple Mensuration、「算術と単純求積実践」)を出版したカルダーノは、タルタリアの話を聞きつけ、同年タルタリア彼の 3 次方程式解法懇願した何度も断った末にタルタリアしぶしぶ了承したが、カルダーノにはタルタリア自身公表するまでは外に出さない約束させられた。カルダーノその後数年間は、タルタリア解法元に自身その他の型3次方程式解法拡張することに没頭したその頃タルタリア弟子であったルドヴィコ・フェラーリ4 次方程式解法発見していたが、しかしフェラーリの方法タルタリア3 次方程式の公式を補助的に使っていたため公表できないでいた。 その後カルダーノフェラーリは、たまたまボローニャにいたフェッロの養子のアンニバレ・デラ・ナーヴェ(Annibale della Nave)に会うことができた。そこで彼らはタルタリア以前解法について書かれたフェッロの論文見てしまう。カルダーノはこのことを根拠タルタリアとの約束縛られずに公表できると確信した1545年約束違えて出版した事実知ったタルタリアはガルダーノに激怒したカルダーノ本書自身業績内容だと反論したタルタリア聞き入れずカルダーノ数学公開試合申し出たカルダーノはこれを受け入れず代わりに弟子フェラーリとの試合組まれたという。結果についてはフェラーリ大勝したとの説やフェラーリ遅刻して試合無効になった説などがあり判然としない本書出版それまで秘匿とされていた代数学発展重大な転換もたらした。後にガリレオ・ガリレイは、この本を参考書研究進め天文学の父と呼ばれるまでになった

※この「成立の逸話」の解説は、「アルス・マグナ (カルダーノの著書)」の解説の一部です。
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