御伽草子
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『田村の草子』では、鈴鹿御前と夫婦となった田村丸俊宗が鈴鹿山の大嶽丸を討伐し、御門から給った伊賀国で暮らすうちに1人の姫君が産まれ、聖林(しやうりん)と命名された。 『鈴鹿の草子』では、鈴鹿御前が亡くなる際に姫君(小りん)は我に劣らぬ神通の者であると顕明連を賜る。
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御伽草子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/02 21:12 UTC 版)
俊重将軍の子・俊祐は50歳になっても子供がおらず、心にかなう妻子を求めて上洛すると、あるとき嵯峨野で出会った天女の化身と契りを結ぶ。身籠った妻は3年間胎内に宿したのち、7日間は産屋に近づかないよう言い残した。しかし7日目に約束を破って産屋を覗くと、妻は100尋あまりの大蛇の姿となり、2本の角の間に美しい赤子をのせ、紅色の舌でねぶって遊ばせていた。8日目に産屋から出てきた妻は、約束を破ったのでこの子は日本の主にはならないが、天下の大将軍になる、名を日龍丸(後の藤原俊仁)とせよ、自分は益田ヶ池の大蛇であると告げて去った。
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御伽草子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/02/07 23:00 UTC 版)
日龍丸が7歳のときに御門から2匹の大蛇を討伐せよと大事の宣旨を受けたのが日龍丸の伯父を名乗る近江国見馴川の倉光・ 喰介である。日龍丸は家宝の角突弓に神通の鏑矢で退治したことで将軍の宣旨が下って俊仁将軍と名乗った。 17歳の時に照日御前と契りを結んだことに嫉妬した帝から伊豆へ流罪にされるが、遠流の途中、瀬田の唐橋の上で橋桁を強く踏み鳴らし、退治した倉光・ 喰介の魂魄に向けて都に上がって心のままにせよと呼びかけ、都に異変を起こさせた。帝が占わせた天文博士が俊仁将軍を都に戻せば鎮まるといったので、俊仁は都に帰ることを許され、大蛇は鎮まった。
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御伽草子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 05:00 UTC 版)
14世紀後半ごろに成立した軍記物語『太平記』巻32「直冬上洛事付鬼丸事鬼切事」では鬼切安綱の伝来について、伯耆国の鍛冶・安綱が鍛えて征夷大将軍・田村麻呂に奉納し、田村麻呂は鈴鹿山で鈴鹿御前との剣合わせに使用したが、伊勢神宮に参拝した際に天照大神より夢の中で所望するお告を受けたため奉納したとある。この『太平記』での記述は、のちに酒呑童子の説話を書いた絵巻や絵詞などの諸本にも源頼光が酒呑童子を斬った太刀(童子切安綱)の伝来として引用されたように、御伽草子『鈴鹿の草子(田村の草子)』でも田村丸俊宗と鈴鹿御前が剣合わせをする場面にも影響を与えた。しかし『太平記』の時点では鈴鹿御前が持つとされる剣の名前までは登場していない。 室町時代中期から後期にかけて能『田村』を元にした御伽草子『鈴鹿の草子(田村の草子)』などが成立した。『太平記』での剣合わせの場面が引用され、鈴鹿御前の持つとされる剣の名前が田村語りに登場したと考えられるのはこのころとなる。『鈴鹿の草子(田村の草子)』の諸本は、鈴鹿御前と田村丸俊宗が戦いを経て婚姻し共に鬼退治をする「鈴鹿系」という古写本の系統と、田村丸俊宗の元に天女の鈴鹿御前が天下って婚姻し共に鬼退治をする「田村系」という流布本の系統に分類される。鈴鹿系と田村系では三明の剣を所有する者の来歴が一部異なる。
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御伽草子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/23 03:35 UTC 版)
「浦島太郎」として伝わる話の型が定まったのは、室町時代に成立した短編物語『御伽草子』による。その後は良く知られた昔話として様々な媒体で流通することになる。亀の恩返し(報恩)と言うモチーフを取るようになったのも『御伽草子』以降のことで、乙姫、竜宮城、玉手箱が登場するのも中世であり、『御伽草子』の出現は浦島物語にとって大きな変換点であった。 「御伽草子」の稿本といえば、普通「御伽文庫」版を指すことが慣習的となっている。こちらは江戸時代に版本にされて多くの部数が普及したからである。
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御伽草子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 00:49 UTC 版)
『元亨釈書』で田村麻呂による清水寺創建の伝承に付会された高丸は、室町時代に成立した御伽草子『田村の草子』では鬼として登場する。『田村の草子』諸本は大別すると2種類あり、鈴鹿御前と田村丸が戦いを経て結婚し共に鬼退治をしたとする「鈴鹿系(古写本系)」と、田村丸の助力をするために天下った鈴鹿御前が田村丸と結婚し共に鬼退治をしたとする「田村系(流布本系)」に分かれたとされる。ただし、この分類法には異論・慎重論もある。 「鈴鹿系」では高丸討伐の後に大嶽丸が現れるが、「田村系」では大嶽丸討伐後に高丸を討伐したのち大嶽丸が黄泉還るなど、物語の展開に差異はあるものの、高丸に関する段落では物語にあまり差違がない。
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