鈴鹿系(古写本系)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 19:21 UTC 版)
室町時代後期の古写本では、鈴鹿御前は都への年貢・御物を奪い取る盗賊として登場し、田村の将軍俊宗が討伐を命じられる。ところが2人は夫婦仲になってしまい、娘まで儲ける。紆余曲折を経るが、俊宗の武勇と鈴鹿御前の神通力によって悪事の高丸や大嶽丸といった鬼神は退治され、鈴鹿御前は天命により25歳で死ぬものの、俊宗が冥土へ乗り込んで奪い返し、2人は幸せに暮らす、というのが大筋である。鈴鹿山中にある金銀で飾られた御殿に住む、16~18歳の美貌の天人とされる。十二単に袴を踏みしだく優美な女房姿だが、田村の将軍俊宗が剣を投げるや少しもあわてず、立烏帽子を目深に被り鎧を着けた姿に変化し、厳物造りの太刀をぬいて投げ合わせる武勇の持ち主である。俊宗を相手に剣合わせして一歩も引かず、御所を守る十万余騎の官兵に誰何もさせずに通り抜ける神通力、さらには大とうれん・しょうとうれん・けんみょうれんの三振りの宝剣を操り、「あくじのたか丸」や「大たけ」の討伐でも俊宗を導くなど、田村将軍をしのぐ存在感を示す。また、情と勅命との板挟みとなった俊宗の立場を思いやる、娘の小りんに対して細やかな愛情を見せるなど、情愛の深い献身的な女性として描写されている。
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鈴鹿系(古写本系)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 05:00 UTC 版)
古写本の系統に分類される『鈴鹿の草子』や『田村の草子』では、伊勢国鈴鹿山に現れた天の魔焰・立烏帽子(鈴鹿の御前)を討伐するよう宣旨が下った田村丸俊宗将軍は、立烏帽子と剣合わせするも決着がつかず、逆に立烏帽子から自分は女であるがけんみやうれん、大とうれん、小とうれんの3本の剣があるので討たれることはないと言われた。 鈴鹿の御前が25歳で亡くなることを告げる場面では、大とうれんと小とうれんが田村丸俊宗に、けんみやうれんが小りんに渡った。鈴鹿の御前が飛行自在なのはけんみやうれんを朝日にかざせば三千大千世界を眼の前に見れるからだという。 鈴鹿の御前が亡くなったことを嘆いた田村丸俊宗も亡くなるが、鈴鹿の御前を返せと文殊の智剣(大とうれん、小とうれん)で獄卒を相手に狼藉を働いたため、倶生神や閻魔王は非業の死であった田村丸俊宗を生き返らせ、不死の薬を与えた。
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