鈴鹿社と田村社とは? わかりやすく解説

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鈴鹿社と田村社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/13 19:21 UTC 版)

鈴鹿御前」の記事における「鈴鹿社と田村社」の解説

鈴鹿峠には式内社片山神社鈴鹿大明神)が、西麓土山には田村神社祀られている。『伊勢参宮名所図会』の「鈴鹿山」には、鈴鹿峠鏡岩挟んで伊勢側に鈴鹿神社が、近江側に田村明神が描かれ、「鈴鹿神社には片山神社縣主神社といった別名があった」と解説文に書かれている奈良絵本すずか』には次のような一節がある。 鈴鹿立烏帽子鈴鹿権現と言われ東海道守護神となって往来する旅人の身に代わって守りこの道を行く人はその身の災難免れる — 『すずか』より大意 鈴鹿大明神道祖神性格持っていたことが窺える片山神社付近では祭祀用の小皿多く出土していることから、鈴鹿峠往来する旅人によって旅の安全を祈願して手向けられた峠神祭祀の遺跡推定されている。 鈴鹿峠鏡石鏡岩)は磐座としての性格持ち、京と丹波の境に位置する愛宕山勝軍地蔵菩薩同様に田村将軍を将軍塚将軍地蔵)とみなして祀ることで、鈴鹿権現一対になった塞の神信仰古くから存在していた。この信仰が後に田村語りとしてお伽草子鈴鹿草子田村の草子)』『立烏帽子』や奥浄瑠璃『田村三代記』坂上田村丸を夫とし、共に高丸大嶽丸など共に鬼神退治をする物語編み出された。 鈴鹿姫への信仰江戸時代まで続き延享3年1746年)の明細帳徳川林政史研究所)では坂下宿氏神鈴鹿大明神とし、幕府代官伊勢亀山藩主の寄進受けている。 当時さまざまな説流布していたらしく、万治2年1659年)ごろの成立とされる東海道名所記』では、鈴鹿御前が天せう太神天照大神)の御母と言いならわされていたことを記している。『勢陽雑記』には鈴鹿御前天照大神乙姫也という伝承載る寛政9年1797年)刊『東海道名所図会』では、 土山田村神社神宝として田村将軍像や鈴鹿御前像を有し祭神将軍田村麿・嵯峨天皇鈴鹿御前としている。現在は主祭神を坂上田村麻呂公・嵯峨天皇倭姫命としているが、江戸時代には鈴鹿御前倭姫命同一視されていた様子窺える内藤正敏は、鈴鹿御前立烏帽子田村麻呂鬼退治勝敗鍵を握るのは鬼神天女という両義的性格をもち、天皇祖神祀る伊勢神宮のある伊勢国平安京境界鈴鹿峠の神だからだろうとしている。

※この「鈴鹿社と田村社」の解説は、「鈴鹿御前」の解説の一部です。
「鈴鹿社と田村社」を含む「鈴鹿御前」の記事については、「鈴鹿御前」の概要を参照ください。

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