おく‐じょうるり〔‐ジヤウルリ〕【奥浄瑠璃】
奥浄瑠璃
名称: | 奥浄瑠璃 |
ふりがな: | おくじょうるり |
芸能工芸区分: | 芸能 |
種別: | 音楽 |
選択年月日: | 1961.03.31(昭和36.03.31) |
選択要件: | |
備考: | |
解説文: | 室町時代中期に生まれて各地で盛んに行なわれていた古浄瑠璃は、江戸時代に至り、義太夫節が確立されるとともにしだいにそれに吸収され、今日ではほとんどその姿を消してしまった。しかし奥州の仙台地方を中心として定着していた奥浄瑠璃【おくじょうるり】は、多少の転訛【でんか】があるものの古浄瑠璃の面影を遺して今日まで伝承されている。 三味線渡来以前の古浄瑠璃は琵琶や扇拍子で語られていた。奥浄瑠璃においても今では三味線を用いているが、芭蕉の「奥の細道」の中に、琵琶で語られていたという記事がある。また、伝承曲目中に「牛若東下り」「阿弥陀胸割【あみだのむねわり】」など古浄瑠璃系統のものがある。 演奏は、冬期の農閑期に、部落、部落をめぐって行なわれていたが、浪曲の隆盛とともにしだいに忘れられ、現在ではめったに演奏されなくなった。今、これをすぐに演奏できる人は岩手県在住の北峰一之進(芸名精悦)のみである。 |
奥浄瑠璃
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/16 18:30 UTC 版)
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奥浄瑠璃(おくじょうるり)は、近世東北地方において盲法師(ボサマ)[注 1]や巫覡の徒(修験・巫女・陰陽師)によって盛んにかたられた語り物文芸[1]。仙台地方を中心に定着した浄瑠璃で、古浄瑠璃の面影を遺しつつ今日に至るまで伝承されている[2]。御国浄瑠璃、仙台浄瑠璃とも。代表的演目に『田村三代記』がある[1]。
概要
奥浄瑠璃においては、現在三味線が使用されるが、松尾芭蕉による『奥の細道』によると琵琶が使われたともいわれる[2]。
伝承曲目中に『牛若東下り』『阿弥陀胸割』など、古浄瑠璃に近いのものもある[2]。演奏は、冬期の農閑期に、部落、部落を巡って行なわれていたが、浪曲の隆盛とともにしだいに忘れられ、現在ではほとんど演奏されていない[2]。なお、著名な奥浄瑠璃の伝承者として、北峰一之進(芸名精悦)がいる[2]。
奥浄瑠璃は、1961年(昭和36年)3月31日付けで「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」に選択されている[2]。
脚注
注釈
- ^ 近世東北地方では門付けを行う男盲の芸人を「ボサマ」と呼んでいた。
出典
参考文献
- 阿部幹男『東北の田村語り』三弥井書店〈三弥井民俗選書〉、2004年1月21日。ISBN 4-8382-9063-2。
関連項目
奥浄瑠璃
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『田村三代記』でも御伽草子のあらすじと近い形で誕生するが、物語の末尾で小林姫は93歳まで大往生すると、奥州南部岩手郡へと飛んで、小林寺の地蔵菩薩として化現し、末世まで人々を救ったと締め括られる。
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