御伽草子版とは? わかりやすく解説

御伽草子版

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/18 15:03 UTC 版)

かなつぶて」の記事における「御伽草子版」の解説

宝物集』で記され金礫説話御伽草子鈴鹿草子』『田村の草子』などの田村語りに採り入れられると、金礫を打つこの化生の名前として、こんざう、りゃうせん(りょうせん)などがみえる。『田村の草子』によるあらすじ次のとおりである。 大和国奈良坂金礫を打つりょうせんという化生の者現れて都への貢ぎ物多くの人の命を奪ったので、帝は稲瀬五郎坂上俊宗鬼退治宣旨下した。俊宗は500騎の兵を連れて奈良坂へと向かい良い小袖木々掛け並べてりょうせん待った。すると背丈が2丈(約6メートル)もある異様な風体法師現れ並び立てた着物置いていけと大笑いする声が聞こえた。俊宗が着物を渡すわけにはいかないというと法師三郎礫と名付けられた金の礫を打ち、俊宗は扇で落とした続けて次郎礫が打たれるが、これも俊宗に打ち落とされ最後に太郎礫を打つも鐙の端で蹴落とされた。りょうせんは山へと逃げはじめるが、俊宗が三代渡って受け継いできた神通鏑矢を射放つ7日7夜に渡ってりょうせん追い続けりょうせんはついに降伏するりょうせん捕縛した俊宗は都へと凱旋し御門閲覧しりょうせん船岡山処刑されることとなった。その首は8人ががりで切り落とされ獄門かけられ行き交う者たちにさらされた。

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御伽草子版

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 05:27 UTC 版)

酒呑童子」の記事における「御伽草子版」の解説

御伽草子版としては、渋川清右衛門出版した御伽文庫版(1720年)が江戸時代広く伝搬した。以下、その御伽文庫渋川刊)より、梗概説明する京都上った酒呑童子は、茨木童子はじめとする多くの鬼を従え大江山拠点として、しばしば京都出現し、若い貴族姫君誘拐して側に仕えさせたり、刀で切って生のまま喰ったりしたという。あまりにも悪行を働くので帝の命により摂津源氏源頼光嵯峨源氏渡辺綱筆頭とする頼光四天王渡辺綱坂田公時碓井貞光卜部季武)により討伐隊結成され討伐向かった。 この稿本では、武者たちみずから戦術練り山伏姿に扮することも考案し甲冑武器(ここではそれらの名前が挙げられる)笈に隠すことにする。また、一行がまず出会って鬼共の内部事情を教わる洗濯女は、ここでは老婆でなく年齢17、8の女性で、花園中納言一人娘である。 一行山伏修行僧)と偽って酒呑童子饗応を受け、童子自分身の上語りだす。ここでは童子は「本国越後の者」と明かし比叡山にいたが伝教大師既出最澄)によってそこを追われ、この峰(大江山)に住んだが、今度弘法大師追放された。しかし空海高野山亡くなった後、舞戻ってきた、と語りだす 頼光らは、さらに姫君の血の酒や人肉をともに食べ安心させたのち、神よもらった「神便鬼毒酒」という毒酒酒盛り最中酒呑童子飲ませ、体が動かなくなったところを押さえて寝首掻き成敗した。しかし首を切られ後で頼光の兜に噛み付いた。 酒で動き封じられある意味だまし討ちをしてきた頼光に対して童子は「鬼に横道はない」と頼光激しくののしった

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