選択条項受諾宣言

国際司法裁判所の選択条項受諾宣言(せんたくじょうこうじゅだくせんげん)は、国際司法裁判所(以下ICJ)の強制管轄権を受諾するICJ規程当事国[注 1]の宣言である[2]。強制管轄受諾宣言とも言う[3]。この宣言を行った国は、同一の義務を受諾する他の国に対する関係において、当然かつ特別の合意なしに、ICJの強制管轄権に服することとなる(ICJ規程36条2項)[4]。宣言を行った国同士では同一の義務を受諾している範囲内においてICJの強制管轄権が設定されることとなる(相互主義)[5]。ICJの管轄権は当事国の合意に基づくことが原則であり[5]、強制管轄権が認められるこの選択条項受諾宣言による方式は例外的といえる[4]。ICJに訴えが提起されても管轄権が認められない場合、ICJは本案に関する審理を行うことができない[6]。
強制管轄権
紛争当事国がICJに事件を付託したのち、相手方当事国がICJに事件を審理する管轄権が存在しないとする抗弁を行ってICJがその抗弁を認めれば、事件の本案について審理は行われない[6]。ICJの管轄権は紛争当事国の合意に基づいて初めて設定可能な任意管轄が原則であり[2][5]、強制管轄が認められるのは例外的な事例にあたる[4]。そのような例外的に認められる強制管轄権の中でも特に重要な方式が選択条項である[4]。
国際裁判においては、あらかじめ裁判所の管轄を義務的であると宣言していた国家間で強制裁判管轄権が設定されることがあり、そのような宣言を可能とする条約上の条項を選択条項という[7]。ICJにおいてはICJ規程36条2項がこの選択条項にあたる[7]。そのICJ規程36条2項を以下に引用する。
この規程の当事国である国は、次の事項に関するすべての法律的紛争についての裁判所の管轄を同一の義務を受諾する他の国に対する関係において当然に且つ特別の合意なしに義務的であると認めることを、いつでも宣言することができる。
— ICJ規程36条2項
- a.条約の解釈
- b.国際法上の問題
- c.認定されれば国際義務の違反となるような事実の存在
- d.国際義務の違反に対する賠償の性質又は範囲

強制管轄権が設定される場合には、他国に事件を一方的に付託された国には応訴義務が生じることとなる[5]。このような選択条項は、紛争当事国による任意の付託を原則とする国際裁判を、裁判所が一般的な強制管轄権を有する国内裁判に近づけようとするものであり、常設国際司法裁判所の時代に導入された[8]。もし仮にすべてのICJ規程当事国が宣言を行っていれば、一方の当事国の提訴があったときは他方の当事国の同意なしにICJは管轄権を行使できることとなり、国内裁判における裁判所の管轄権と同様の管轄権をICJも行使できるはずであった[8]。しかし国際司法裁判所にこのような強制管轄権を認めることに対しては根強い反対意見もあり[5]、ICJの選択条項受諾宣言を行っている国は一部に限られている(右地図も参照)[8]。上記規程36条2項により同規程の当事国は、「法律的紛争」についてICJの強制管轄権を受諾することをいつでも宣言できる[8]。「同一の義務を受諾する他の国に対する関係において」とは、宣言を行った国同士では同一の義務を受諾している範囲内においてICJの強制管轄権が設定されるとする相互主義を規定したものである(#相互主義参照)[5]。
留保
ICJの選択条項受諾宣言を行う国々は、様々な留保を付して宣言を行うことが多い[2]。宣言に留保が付されると、留保を付された範囲内においてICJの強制管轄権が排除されることとなり、一方の紛争当事国の宣言に付された留保は相手方当事国も援用することが可能となる(相互主義)[9]。宣言に留保を付すこのような慣行は、できるだけ多くの国々がICJの強制管轄を受諾することを促進する目的で認められてきたものである[10]。しかし実際には、ICJの管轄権義務化の目的に逆行するような留保が付される場合もある[10]。以下のように留保はその内容によって「時間的留保」、「事項的留保」に大別される[8]。
時間的留保
例えば、宣言の対象となる紛争を「受諾宣言の日以後に発生する」法律的紛争に限定するものがこの時間的留保にあたる[8][9]。このような留保について問題となったのが1959年のインターハンデル事件である[2]。インターハンデル事件においてアメリカの宣言には宣言の日以後に発生する紛争にICJの管轄権を限定する時間的留保が付されていたにもかかわらず、原告国スイスがICJに付託した紛争は宣言発効日以前に生じた紛争であったとして、被告国アメリカはICJには管轄権がないと主張したのである[11]。これに対してICJは、紛争を生じされるに至った事実と紛争そのものを峻別し、受諾宣言の日以前に紛争は生じていなかったとしてアメリカの主張を却下している[11]。
事項的留保
特定事項に関する紛争をICJの強制管轄から除外する留保を事項的留保という[8]。例えばICJ以外の紛争解決手段に付託することで合意した紛争をICJの強制管轄から除外する旨の留保はこの事項的留保に当たる[2]。こうした事項的留保の中でも、自国が本質上国内管轄事項であると決定する紛争を除外するなど、ICJの管轄から除外される事項的範囲を自国が主観的に決定することができる旨を定めた留保を自動的留保[9]、または自己判断留保という[10]。このような自動的留保は、1946年のアメリカによる宣言に付された「コナリー修正」が最初であったが[12]、自動的留保については管轄権の有無に関するICJの決定権を奪うものであるとして批判する見解もある[9]。
コモンウェルス留保
コモンウェルス加盟国間の紛争をICJに付託しないことを基本とする留保をコモンウェルス留保という[13]。もともとコモンウェルス内部では枢密院司法委員会による紛争解決が予定されていたことに由来する[14]。こうした特定の連帯関係に基づく留保も事項的留保のいち態様と言える[9]。2013年11月現在でバルバドス、カナダ、インド、ケニア、マルタ、モーリシャス、イギリス、すでにコモンウェルスを脱退したガンビアの8カ国がコモンウェルス留保を宣言している[15]。例えば選択条項受諾宣言を管轄権の根拠としてパキスタンがインドを一方的に提訴した1999年8月10日航空機事件ICJ判決では、この留保を援用してICJの管轄権を否定するインドの主張をICJが認めたことがある[16]。
相互主義
同一の義務を受諾している範囲内において裁判所の強制管轄権が設定されるとする相互主義(#強制管轄権参照)により、紛争当事国の一方が宣言に付した留保は相手国も援用することが可能となり、ICJの強制管轄権が狭められることとなる[9]。その結果、より広くICJの管轄権を受諾した国は、自国の宣言にはないが相手国の宣言の中にだけある留保を援用することが認められる[9]。こうした場合には、紛争当事国双方の受諾宣言が一致する範囲で、かつ、より狭い強制管轄を受諾した側の宣言の範囲内でICJの管轄権が存在することとなる[9]。例えば1957年のノルウェー公債事件では、原告国フランスの宣言に付されていた「この宣言はフランス共和国政府の理解するところにより本質上その国内管轄事項に属する事項に関する紛争には適用されない」とする自動的留保を被告国ノルウェーが援用し、ICJには管轄権がないとしたノルウェーの主張をICJは認め、ICJの管轄権は否定された[10]。フランスは自国が付した留保によって結果的に敗訴することとなったのである[10]。このように選択条項受諾宣言の留保は、自国の利益のためになされるものであるが、ときとして「ブーメラン効果を持つ諸刃の剣」ともなり得るものである[10][12]。
脚注
注釈
出典
- ^ 「国際司法裁判所規程」、『国際法辞典』、105頁。
- ^ a b c d e 杉原(2008)、420-424頁。
- ^ 長岡(2009)、56-59頁。
- ^ a b c d 山本(2001)、695頁。
- ^ a b c d e f 山本(2001)、694頁。
- ^ a b 杉原(2008)、425-427頁。
- ^ a b 「選択条項」、『国際法辞典』、220頁。
- ^ a b c d e f g 小寺(2006)、424-426頁。
- ^ a b c d e f g h 山本(2003)、696-697頁
- ^ a b c d e f 牧田幸人「ノルウェー公債事件」、『判例国際法』、544-546頁。
- ^ a b 位田隆一「インターハンデル事件」、『判例国際法』、475-477頁。
- ^ a b 中村道「強制管轄受諾宣言と留保 - ノルウェー公債事件 -」、『国際法判例百選』、188-189頁。
- ^ 喜多(2014)、513-514頁。
- ^ 喜多(2014)、515-525頁。
- ^ 喜多(2014)、525-526頁。
- ^ 喜多(2014)、534-545頁。
参考文献
- 喜多康夫「国際司法裁判所の選択条項受諾宣言におけるコモンウェルス留保─イギリス帝国の「残滓」の存在意義─」『帝京法学』第29巻第1号、帝京大学法学会、2014年、513-549頁、ISSN 02881659。
- 小寺彰、岩沢雄司、森田章夫『講義国際法』有斐閣、2006年。ISBN 4-641-04620-4。
- 杉原高嶺、水上千之、臼杵知史、吉井淳、加藤信行、高田映『現代国際法講義』有斐閣、2008年。ISBN 978-4-641-04640-5。
- 筒井若水『国際法辞典』有斐閣、2002年。ISBN 4-641-00012-3。
- 長岡さくら「捕鯨問題の紛争解決に関する一考察--海洋国際法の観点から--」『福岡工業大学環境科学研究所所報』第3号、福岡工業大学環境科学研究所、2009年、53-62頁、ISSN 18843093。
- 山本草二『国際法【新版】』有斐閣、2003年。ISBN 4-641-04593-3。
- 松井芳郎代表編集 編『判例国際法』(第2版第3刷)東信堂、2009年4月、168-172頁。ISBN 978-4-88713-675-5。
- 山本草二、古川照美、松井芳郎編 編『別冊ジュリスト 国際法判例百選』有斐閣、2001年。ISBN 978-4641114562。
外部リンク
- Declarations recognizing the jurisdiction of the Court as compulsory(英語) - 国際司法裁判所。選択条項受諾宣言をしているすべての国の宣言文一覧。
- 1958年の日本による選択条項受諾宣言の日英対訳 - 日本外務省。
強制管轄受諾宣言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 02:43 UTC 版)
国際司法裁判所規程第36条第2項によると、各国は法律的紛争について、同一の義務を受諾する他国との関係において、特別の合意を成すことなしにICJの管轄権を義務的なものとして受諾する旨を宣言することができる。これを強制管轄受諾宣言、または選択条項受諾宣言という。ここでいう法律的紛争として具体的に規程第36条第2項には、条約の解釈、国際法上の問題、国際義務の違反となるような事実の存在、損害賠償の性質または範囲、が規定される。強制管轄受諾宣言は一定の範囲内でICJの義務的管轄を除外することも合わせて宣言される(これを「留保」という)ことが多く、宣言を行っている国の間では、互いに同一の義務を受諾する旨が宣言されている範囲内においてのみICJの強制管轄権が発生する。以下にニカラグアとアメリカの宣言を引用する。 ニカラグアの強制管轄受諾宣言アメリカ合衆国の強制管轄受諾宣言1929年9月24日私はニカラグア共和国を代表し、常設国際司法裁判所の管轄が無条件に強制的であることを認める。 T.F.メディナ 私、アメリカ合衆国大統領ハリー・S・トルーマンは(中略)、アメリカ合衆国が、今後生じる(中略)法律的紛争についての国際司法裁判所の管轄を同一の義務を受諾する他の国に対する関係において(中略)義務的であると認めることを(中略)宣言する。(中略)ただし、この宣言は次のものには適用されない。 (略) (略) 判決によって影響されるすべての条約当事国が裁判所に提起された事件の当事者である場合(中略)を除き、多国間条約の下で生ずる紛争 この宣言は5年の効力期間を有し、その後はこの宣言を終了させる通告がなされた後、6箇月が満了する時まで効力を有する。 1946年8月14日ワシントンにおいて作成。 ニカラグアによる1929年の宣言はICJではなく常設国際司法裁判所(PCIJ)の強制管轄を受諾する宣言であったが、ICJ規程第36条第5項により、戦後設立されたICJの強制管轄受諾国とみなされるとニカラグアは主張した。この点を含めアメリカはICJには本件を審理する管轄権がないことを主張したが、ICJは以下のようにこれを退けたのである。 論点アメリカの抗弁判決ニカラグアのPCIJの管轄受諾宣言の有効性1929年にニカラグアは宣言を行ったが批准書を寄託していないため同宣言の効力は発生しておらず、PCIJの強制管轄をICJが継承する旨を定めたICJ規程第36条第5項の適用対象とはならない。 ニカラグアは1929年宣言の後に批准書を寄託しなかったが、1946年以降批准書未寄託という注釈つきではあったがICJの年鑑に強制管轄受諾国としてリストアップされ続け、ニカラグアもこれを特に否定をしなかったため同国はこれを黙認したものと解される。ニカラグアが批准書を寄託すれば効力は生じたであろうし、ニカラグアの宣言は無条件のものであったので無期限の潜在的効力を持っていた。この黙認によりニカラグアはICJ規程第36条第2項に基づくICJの強制管轄受諾を認めたこととなり、そのためニカラグアがアメリカに対して「同一の義務を受諾する国」であると結論する。 本件でのアメリカの宣言の有効性1984年4月6日(ニカラグアによる提訴の3日前)に「1946年の管轄権受諾宣言は、中米の国家との紛争や中米における事件から生じる紛争には適用されない」と、自国の宣言を「修正」する通告をICJに行っており、これは効力を生ずるために6ヶ月を要する「終了」には該当せず、この「修正」によりICJの管轄権は本件には及ばない。 アメリカの宣言によれば、「この宣言を終了させる通告がなされた後、6箇月が満了する時まで効力を有する」こととされており、アメリカの通告は同国宣言の部分的終了であるため通告の効力発生のためには6ヵ月の期間を経なければならず、そのため同通告をもってアメリカの宣言を無効にすることはできない。 影響を受ける他の多国間条約当事国判決によって影響されるすべての条約当事国が裁判所に提起された事件の当事者である場合を除いて多国間条約の下で生じる紛争はICJの強制管轄から除外しており、エルサルバドル、コスタリカ、ホンジュラスといった本案判決が下された場合に影響を受ける可能性がある国々が本件の当事者となっていないにもかかわらずニカラグアは国連憲章や米州機構憲章といった多国間条約上のアメリカの義務違反を主張しており、そのためアメリカの強制管轄受諾宣言は本件には及ばない。 アメリカの宣言が言うところの「影響される」国について、その認定主体を同国宣言は明らかにしておらず、「影響される」国が存在するならば個々の国が自国の利益保護のために訴訟を提起するか、または本件訴訟に参加表明をするか、いずれかを選択することになる。しかし仮にICJがニカラグアの請求を却下すればそうした第三国の請求はなくなることになり、そのためすべての「影響される」国が参加しているかどうかについては結局ICJが判断せざるを得ないが、これは事件の本案に関する実質事項にかかわる問題であり、したがってアメリカの宣言における多国間条約に関する留保についての抗弁はもっぱら先決的性質を有する事柄ではない。 上記のようにICJは常設国際司法裁判所(PCIJ)の強制管轄受諾国としてのニカラグアの地位を否定したが、ニカラグアが批准書を寄託していなかったにもかかわらず、戦前のPCIJの強制管轄をICJが継承する旨を定めたICJ規程第36条第5項によりニカラグアの宣言が拘束力を生じたとする多数意見の論理展開は批判されることも少なくなく、実際に先決的判決に反対した5名の裁判官もこの点を指摘している。
※この「強制管轄受諾宣言」の解説は、「ニカラグア事件」の解説の一部です。
「強制管轄受諾宣言」を含む「ニカラグア事件」の記事については、「ニカラグア事件」の概要を参照ください。
- 強制管轄受諾宣言のページへのリンク