弱体化するオスマン帝国とは? わかりやすく解説

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弱体化するオスマン帝国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/26 06:01 UTC 版)

ギリシャ独立戦争」の記事における「弱体化するオスマン帝国」の解説

詳細は「トルコクラティア」を参照 1389年オスマン帝国コソボバルカン諸侯連合軍撃破1453年4月コンスタンティノープルオスマン帝国によって占領された。この出来事バルカン半島におけるキリスト教最後飛び地消滅したことを意味しており、すでに占領されていたブルガリアその後セルビアギリシャ、そしてアルバニア占領されバルカン半島大部分オスマン帝国支配したオスマン帝国バルカン半島住民らを無理やりイスラム教改宗させることはなかったが、武装権利奪われ政治に参加する権利奪われギリシャ当初は同じ運命を辿るかに見えた。しかし、オスマン帝国支配と言えどもギリシャ人らは西欧恒常的な往来行っており、また、オスマン帝国の支配過酷なものではなかった。その証拠ファナリオティス呼ばれるギリシャ系正教徒のある層はオスマン帝国において政府主席通訳官提督通訳官ワラキア公国モルドバ公国の公位を任されオスマン帝国における重要な地位担っていた。また、宗教、言語民族異な人々宗教を軸として統合共存を図る緩やかなシステムと強力で効率的な組織形成されたことでギリシャは「オスマンの平和(パックス・オトマニカ)」の恩恵受けていたのは間違いなかった。 そしてオスマン帝国下の正教徒らをまとめ上げた正教徒ミレットの長、コンスタンディヌーポリ総主教座、及びミレット高位聖職をもギリシャ人らが手中に収めミレットの長はミレット課せられていた租税徴収納入ミレット内の秩序維持紛争処理行ったが、これはオスマン帝国下の正教徒全てに対して全権持っていた。そして、このミレット存在バルカン諸民族正教徒トルコ人を代表とするムスリムとの融合妨げることになった。 その一方でペロポネソス半島ではトルコ人による土地収奪進んでおり、耕地面積3分の2少数派であるトルコ人所有残り3分の1ギリシャ系有力地主支配していた。ギリシャ系有力地主オスマン帝国より地方自治制度範囲ながら徴税治安維持権利与えられていたため特権となっていたが、彼らはトルコ人らが土地広げていくことを敵視しており、社会底辺形成していた中貧農らもオスマン帝国末期無秩序腐敗犠牲となったために不満をいだいていた。また、東方正教会上層部オスマン帝国取り込まれいたものの、下級聖職者らは農民らと行動を共にしていた。 16世紀末から18世紀にかけて、西欧近代化急速に進むにつれ、それまでオスマン帝国優位な状況逆転していく。そのため、18世紀初頭には皮肉にもそれまでオスマン衝撃」と呼ばれ西欧恐れられていたオスマン帝国逆に西欧衝撃」を恐れ立場となっていた。 特にロシア帝国当時南下政策採用しており、1710年勃発した露土戦争 (en) の時にオスマン帝国下の正教徒保護者として振舞っていた。そして1768年から1774年の間に行われた露土戦争 (en) で勝利してキュチュク・カイナルジ条約結ばれて以降黒海沿岸拠点手に入れただけではなくロシア同様の正教信仰するバルカン正教徒らの保護手に入れた。そのため、ロシアオスマン帝国への内政干渉行え立場となり、1778年までに数回渡ってオスマン帝国攻撃加えたことで、バルカン半島への影響力高め、さらにバルカン半島に住む人々多くを成すスラヴ人たちとの同族国家としてバルカン諸民族独立支援する立場となっていた。このことは裏を返せばバルカン半島諸民族に取ってロシア解放者であることを意味していた。 この事態においてオスマン帝国支配者層は18世紀以降軍事分野において近代西欧技術モデル元に西欧化改革行い、それを徐々に体系化ようとしていた。しかし、それはあくまでも軍事分野においてであり、思想文化などに関心が及ぶのは19世紀まで待たなければならなかった。 そしてこの西欧衝撃感化され人々オスマン帝国支配層の人々だけではなかった。バルカン半島キリスト教系諸民族その影響を受け、その中にはナショナリズム目覚める人々生まれ18世紀においてギリシャ系正教徒中にはオスマンの平和」の枠組み内側か突き崩し内的な西欧衝撃感化される人々生まれていた。そして、バルカン半島において綿花トウモロコシ栽培17世紀以降盛んになって輸出されたが、これにロシアオーストリアバルカン半島進出し始めたことと絡みあい商人水夫らの活動範囲がさらに広がり見せていく。

※この「弱体化するオスマン帝国」の解説は、「ギリシャ独立戦争」の解説の一部です。
「弱体化するオスマン帝国」を含む「ギリシャ独立戦争」の記事については、「ギリシャ独立戦争」の概要を参照ください。

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